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権利はあるが、行使できないという解釈

反町 本日は、とくに法律的な側面から、日本の外交、安全保障について、この分野における第一人者である岡崎先生にお話をうかがいたいと思います。 日本では、法律の議論は現憲法のもとでの平和を前提として組み立てられますから、外交や安全保障について語る憲法学者、法律学者は多くはありません。また大学で法律を専攻しても、平和的生存権などは学びますが、主権国家としての対外的な部分については教えられていません。このことについてどのように思われますか?
岡崎 自然に人間を律するものがあり、それをまとめたものが法律です。であれば、その法律が人間本来の在り方に反するのであれば、どこかが間違っているはずで、直していくのが当然です。ところが、戦後日本の法律学は、成文法以前にある人間社会の基本的なものをとらえる法哲学の議論をなくし、極端な成文法主義に陥っています。まず憲法の条文ありきで、それとの法的整合性を図るための字句解釈が中心となっている。あたかも訓古学です。その最も極端な例が政府による憲法第

9条の解釈でしょう。『日本に集団的自衛権はあるが、憲法の規定により、その権利を行使できない』・・・果たしてそのような解釈があり得るでしょうか?
反町 持っているが、使えないというのは、禅問答ならあるかもしれませんが、行動科学である社会科学には本来ありません。法の依って立つ法哲学にも、『権利のための闘争』ということがありますが、権利とはアクションの中に生まれるもので、持っていても、アクションがなければ、消えてしまいます。時効制度を見ても、権利を行使することができ
るにもかかわらず、行使しない状態が継続することで権利が消滅する効果が生じるというのが消滅時効ですから。
岡崎 
なるほど。権利としてはあるが、政府の方針として、この内閣の間は行使しないということはあるわけです。いわゆる『権利の上に眠る』ということですが、そのケースでは、眠ったからといって権利が消滅するとは限らない。それなら、理解することもできます。しかし、『行使する権利がない』というのはどう考えてもおかしい。一種の形容矛盾です。
 
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