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Top Interview
日本国憲法 前文

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者が行使し、その福利は国民がこ れを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉あ


る地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普
遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な目的を達成することを誓ふ。


反町
憲法の内容についてお考えになっていることを伺いたいと思います。まず前文については、どのようなご意見をお持ちでしょうか?
    西村
    前文は主権在民を謳っています。しかし、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」との文章があり、それからやや離れて、「平和を愛する諸国民の公正と審議に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という文章があります。これらを総合して考えるなら、主権者である日本国民が作る政府は戦争の惨禍を繰り返す戦争勢力になりかねない。日本国民は政府によってではなく、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」することで、安全と生存を保持できるという論理になる。このような論理を国家の根本規範として容認できるのか否かということです。この問題を深く考えようとするなら、20世紀の総括という視点から見なければならないと思います。今テレビでも盛んに20世紀の総括として第1次世界大戦、第2次世界大戦のことが放映されていますが、私は20世紀において総括すべき最大のものは戦争ではないと思います。戦争は19世紀にも18世紀にもありました。

     20世紀の最大の特色は、地球上の人類を二つに分類する思想が生まれたことです。

     一方はプロレタリアートであり、国境を越えて連帯を深め、バラ色の未来を築く。憲法の前文でいえば、「平和を愛する諸国民」でしょう。もう一方は国ごとに割拠して、任せておけば惨禍を繰り返す勢力です。マルクスの分類によれば、資本家・地主階級となる。果たしてその分類は正しかったのか。20世紀は、その思想が現実に権力をとり、ソビエト連邦や中国大陸やカンボジアにおける惨害を起こした時代だと考えます。人類の未来ためと称して、多くの人々が殺害され、迫害を受けた。そのことはいまだに総括されていません。

     そして、私はそのような思想が憲法前文の根底にあると思っています。

     日本を民主主義国家と規定するにもかかわらず、その政府は戦争の戦禍を呼ぶものと表現されている。そして、国民の安全と生存を保持するために何をすればいいか、簡潔に指摘しなければならないはずの憲法において、具体的方策をなんら示されず、ただ「平和を愛する諸国民の公正と信義」とだけ記している。これは日本の国体を敵視したコミンテルンの対日戦略そのものと判断せざるをえません。

     結論として、この前文は理想的文言がちりばめられてはいるが、空虚な作文であると判断せざるをえないのです。
反町
憲法前文についての西村先生の主張は、過去300年の時代文脈を総覧した見解であり、日本のアカデミズムにおいて未だ指摘されておりません。今後、注目されることでしょう。

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