キャリアアップへの執念
フランス・スイス・ハンガリーと、それぞれの国の女性が苦労しながら働く様子を駆け足で紹介した。恵まれていると感じた国はひとつとしてなかった。私が男性であるがゆえの限界か、なぜそこまで頑張るのかをめぐって、理解できない場面にたくさん出くわした。
女性雇用に対する制度上の支援が進んでいるフランスでさえ、多くの女性はあえて恩恵を享受しないで同僚に負けまいと耐え抜く。わが国の内閣府経済社会総合研究所の調べによれば、パリ市内で出産した女性社員の約7割が産児休暇を取得していない。
管理職は育休を取ると昇進が遅れるといって、月17万円かけてベビーシッターを雇う人もいる。そんなに仕事一筋の彼女のことである、必要とあればいかなる残業も辞さない。
ドイツに似て子育て支援が停滞気味のスイスとなると、社会進出を目指す女性にのしかかるハンディは増える。ほとんどすべての収入を託児費用に割かねばならない例も稀ではない。しかし、信じられない難局をたんたんと受け容れている光景が、何とも頼もしく感じられてならず、「負けるものか」という気迫に圧倒された。実際、産児休暇中に大学でキャリアアップのための資格を取得した猛女がいると聞いて驚いた。
制度面でみると日本の環境は、女性がさほど働きにくいとも思えない。もちろん改善の余地はたくさんあるし、それに向けて努力が必要である。その点を真っ先に確認した上で、日本女性自身の奮起を期待したい。上記3ヵ国のキャリアウーマンたちは、ほんとうにタフで貪欲である。制度は、実現を保障しない。女性雇用の推進にとって最も重要な条件は、他に依存しないで自立した生き方を求める女性自身の意欲ではないだろうか。
地域ぐるみの育児
働く女性が一番悩むのは、どの国の場合もほぼ例外なく育児である。出産も肉体的負担は大きいが、とりあえず一時の難業で終わる。だが、子育ては違う。相当長期に及ぶ。しかも、ある意味で年月を経るにつれて、複雑さの度合いがどんどん増える。
子どもの世話が一方的に母親の義務となる限り、子持ちの女性の行動は大幅に制限されざるを得ない。とりわけドイツのように学校の授業が午前中しかないと、フルタイムの仕事に携わることは夢のまた夢といってよい。それほどひどくないものの、日本も似たり寄ったりである。託児施設の終了時間が早目に設定されるため、正社員の勤務形態では迎えの時間に間に合わない。しかも、職場では残業が当たり前となっている。
子どもを安心して預けられる仕組みが、女性雇用の推進にとって不可欠である。その点で、フランスの保育ママに倣う試みの検討をぜひとも薦めたい。近隣の主婦の手がける受け入れ活動は、大きな施設で望み難い家庭的情操を子どもに養うばかりでなく、共働き夫婦が地域社会とかかわるきっかけを与えてくれるだろう。育児を若いカップルのみが負う営みと決めつけず、社会とりわけ地域の協働とする視点が重要である。
先ごろ日本青少年研究所が、日中韓の首都在住の小学生について行った調査の結果を発表した。それによると「将来のために今頑張りたい」と答えた割合は、日本48%、北京75%、ソウル72%であった。日本の子どもは、未来に向けて希望を持たないようである。彼あるいは彼女は、今を刹那的に楽しむしかないとでも考えているのだろうか。これでは生まれた子どもは不幸だし、育てる親としても苦労のし甲斐がない。
事業としての家事
親と同居する30〜40代の独身女性が増えている。平均年間給与額が300万円弱では、親にすがらないと生活は成り立たない。ともあれ彼女たちは、極めて優雅に見える。三食昼寝つきとまでは言えないものの、身の回りの面倒はすべて親がしてくれる。
この極楽気分がいずれ破綻するのは、当人を除いてだれの眼にも明らかである。両親は子どもより早く老いざるを得ない。思うように動けなくなった彼らのケアは、当然子どもの責任と見なされる。その際に家事を切り盛りする才覚が欠けているばかりでなく、外部のサービスを購入する資力もないことが分かっても遅い。専業主婦にしたところで大同小異ではなかろうか。夫に頼るだけでは万が一の破局を乗り越えられまい。
何であれ問題にぶつかったとき、独りで解決しようとするのは愚である。是が非でも家族でもみ消そうとするから袋小路に迷い込む。応援を外に求める姿勢が大切である。もちろん対価を支払わねばならない。育児にせよ家事にせよ、はたまた介護であっても、家庭レベルに囲い込んでしまわないで社会レベルで解決策がもっと探られてよい。ベンチャー精神に富む主婦による事業展開がこれらの分野で期待できないだろうか。
専業主婦の存在を否定するわけではない。しかし、それを常態と見なす思想や制度には反対したい。育児や家事や介護を他より上手にできる才覚のある女性がいたとしたら、社会的に評価される、つまり、収入をもたらす活動として行うべきである。内助の功といった台詞は死語としなければならない。外できちんと値段が付けられ、その通り支払われてこそ、家庭内の諸活動も本当に意味のあるものとなるのである。
ワーク・ライフ・バランスの見直し
職業には3つの役割がある。第1に生きるための糧をもたらす。他に一切依存せずに自給自足で生活を営むのは、分業の進んだ現代となると事実上不可能といってよい。何らかの職業に就いて得た金銭で必要な物資やサービスを購入しなければならない。
第2に社会的なかかわりを付ける。公私あるいはNPO・NGOを問わず職業の提供先である組織や団体については、社会が存在の重要性を認めている。そこで、ただ職業に携わりさえすれば社会の一員として活動することとなる。
第3に自己実現を果たさせる。職業は通常、専門能力の養成システムを具備している。それを逐次手順通り修得する中で職業人は、自分でなければできない成果を残し達成感に酔いしれる。
要するに、収入の確保・社会的関与・自己実現である。それらは、職を通してしか成し得ないわけではない。親の遺産を引き継いで働かなくてもよい場合もあろう。ボランティア活動などに加わり社会の動きを肌で感じることもできる。気の合った仲間たちと切磋琢磨しながら、文学や美術の創作に励んでもよい。しかし、誰でもさほど創意工夫しないでも3つをこなそうとすると、やはり職を手がけるのが一番容易である。
ワーク・ライフ・バランスを論じるに当たり、ワークが職場・ライフは家庭と杓子定規に決め付けるべきではない。職場に託児所を設ける組織や団体が現れ始めたし、育児や家事をビジネスとして展開する動きも見かける。バランスは、職場と家庭の内部で調整する必要がある。すなわち、職場も家庭も、他を退けて閉鎖的に自己の論理の徹底に邁進させようとせず、もっとオープンにして柔軟な組み換えをしてはどうだろうか。
静岡県立大学経営情報学部教授 影山喜一
1943年生まれ。1965年3月東京大学経済学部経済学科卒業。1967年 3月同大学院経済学研究科経営学専門課程修士課程修了。1965年7月文部教官東京大学経済学部助手。1969年12月東京経済大学経営学部専任講師。1977年4月同経営学部教授。1990年4月同経営学部長。1997年4月静岡県立大大学経営情報学部教授(現職)。2000年4月静岡県立大学大学院経営情報学研究科長。2004年4月地域経営研究センター長。主な著書に、『企業社会と人間』(日本経済新聞社・1976)、『ゲーム社会』(中央経済社・1989年)、「日本型経営礼賛論の明暗」(内橋・奥村・佐高編『危機のなかの日本企業』・岩波書店・1994)、「高度OA化と組織慣性の打破」(青山・大坪編『情報 社会と経営(続)』・文眞堂・1998)「大学の再出発と地域の活性化」(齋藤・ 藤永・渡辺編『大学は地域を活性化できるか』中央経済社・2005)など。