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事件の概要

  1991年1月、フィリピン人と思われる女性が長野県小諸市の病院で男の子(のちにアンデレと命名)を出産した。アンデレちゃんの父親は不明。出産後、この女性は消息を絶った。小諸市の隣の御代田町に在住していたアメリカ人宣教師リースさん夫妻は、この子を養子として引き取る決意をした。アンデレちゃんの出生届は病院の医師が行い、アンデレちゃんの国籍はフィリピンとして外国人登録がなされた。病院での医師の問いかけに対し女性は1965年11月21日生まれと答えたが、国籍はわからなかった。
 その後、リースさん夫妻は仕事の関係でアメリカに行く事になったため、子どものパスポート申請手 
続きのためフィリピン大使館に出かけたが、母親がフィリピン人かどうか不明であること、母親が一緒に手続きに来ないと発行できないと言われた。やむなくリースさん夫妻はアンデレちゃんを無国籍とすることになったが、それまでの経緯において、役所・法務当局との間でたらい回しにされた。
第2条
  三

国籍法第2条3号

子は次の場合には、日本国民とする。
日本で生まれた場合において、父母がともに知れないとき、又 は国籍を有しないとき。


 私は弁護士として約27年ほど経験しましたが、一番印象に残る事件は、日本の国籍を有することを国に求めた「リース・アンデレちゃん国籍確認訴訟」でした。
 リースさん夫妻が千葉県弁護士会所属の山田由紀子弁護士にアンデレちゃんの国籍のことを相談され、国を相手に日本国籍を有することの確認を求める訴訟を提起することになった。たまたま私は日弁連の子どもの権利に関する委員会で存じ上げていた山田弁護士から「国籍確認訴訟を提起をするので一緒にやりませんか」とのお話があり、小さな子どもの国籍という最も基本的な人権にかかわることなのでお力になれればということで、この事件に関与することになり、弁護団長をつとめることになりました。



 一審勝訴、二審敗訴、最高裁逆転勝訴という事件でしたが。

 一審、二審、最高裁ともに約1年で判決がでましたが、訴訟での争点は国籍法第2条3号をどう解釈するか、という点に絞られていました。事実関係については、殆ど争いがなかったので早期の判決を得ることができました。
  争点は、
1国籍法第2条3号の「父母がともに知
  れないとき」の解釈、
2「父母がともに知れないとき」の立証
  責任、
3本件が「父母がともに知れないとき」
  に該当するか否か、でした。


 
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