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特集2 司法制度改革3
1960年代の司法改革の行方

--ドイツの裁判所をご覧になって、印象に残った点は?
「映画を観ていただければ分かりますが、市民に開かれ、本当に市民のものになっているということです。脚本調査、撮影と二度にわたって1か月半あまりドイツの地方を回ったのですが、司法が市民社会に完全に溶け込んでいることが分かりました。裁判官は自分が公務員であり、国民に奉仕しなければならないという意識をもっています。そして、その活動の場である裁判所は市民のためのサービス機関であり、利用しやすい場所に
設置されるのが当然で、市民に開かれていなければならないとされています。ドイツは連邦制ですが、どこに行っても、それが徹底していました。駅に隣接した裁判所もありましたし、商店街のスーパーマーケットの上に裁判所もある。裁判所の食堂に、市民が自由に出入りしていたりするわけです。そういう環境ですから、市民としても、裁判所に行くことが特別な行為という意識がなくなってくるわけです。
 ドイツの裁判所は構造も日本とは違います。裁判官の席が一段高い法段の上


にしつらえてあるのではなく、法廷全体が平らになっているのです。裁判官が高い法段に座ってしまうと、どうしても、縦の関係が生じる。そうではなく、同じ平面というのは、裁判官が市民と同じレベルに立って裁判を行うという意思の表れなのでしょう。
 ある裁判所で刑事裁判を見学したのですが、そこなどは、ドーム状の屋根をもつ、明るい法廷で、傍聴席が上のほうに設置されていて、傍聴者が裁判官席を見下ろしているのです。そして、裁判が終わったとたん、記者が裁判官を囲ん
で、取材が始まったのには、驚きました」
--日本とドイツの裁判がそのように異なることになった原因はどのようなことでしょうか?
「ドイツの裁判所が開かれた場所になった契機は、1960年代後半からの司法改革にあります。その改革は『なぜ裁判官は高いところに座らなければならないのか? なぜ傍聴人を隔てる柵が必要なのか?』という問いかけから始まったそうです。
 戦後、ドイツではナチス協力者が公職追放されましたが、司法の世界は、ナチ


ス時代の裁判官が多く残っていたそうです。そのため1960年代の半ばまでは保守的で古い体質を引き継いでいました。それに対する批判が起こったのです。当時、世界的な学生の民主化運動がありましたが、ドイツの司法制度改革の中心となったのも、そのような学生運動の指導者たちであり、『ナチス時代にあなたは何をしたか?』と問うたわけです。『私は何もしていない』と答えると、『何もしなかったことが罪悪ではないか』と追及するわけです。その基本的な精神は『過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる』というヴァイツゼッカーの有名な演説に あります。ドイツ人として、過去を徹底的に整理して、それに対して責任をもたなければならないという意思です。
 1960年代に、日本の裁判所でも同様な動きがありました。しかし、最高裁判所による青年法律家協会所属の裁判官の再任拒否などを契機に状況が変わったのだと思います。
 ドイツでは、シュレーダー首相が当時の学生運動の委員長であったように、そういう人たちを社会の建設に取り込んだけれど、日本の場合、すべて排除していった。極左が登場し、あるいは多くの人が転向したのです」

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