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0 1 2000.vol.2
カテーテル特許訴訟の逆転劇 米国特許弁護士 服部健一
米国特許弁護士 服部健一

 いよいよ陪審員を前にした法廷が始まった。その直前に裁判官は特許を有効としたので、残る問題はウィルソン社の4つのカテーテルが特許侵害しているか否かのみであり、我々には圧倒的に不利だ。

 特許の独占範囲を示すクレームには、形状記憶合金で作ったカテーテルが「少なくとも約10℃(at least 10℃)」で反応すると記載しているので、この温度の幅がどのくらいを意味するのかが問題になる。

 ウィルソン社の4つのカテーテルは、それぞれ10.5℃、11℃、13℃、15℃で反応するので、10.5℃のカテーテルは「少なくとも約10℃」の範囲に入る可能性が高い。15℃のカテーテルは安全そうだ。11℃そして13℃で反応するカテーテルが「少なくとも約10℃」という範囲に入るか否かが問題になる。範囲に入ると陪審員が判断すれば特許侵害となり、入らないと判断すれば侵害はおろか、損害賠償責任もなくなる。4つとも侵害となると損害賠償の額は20億円と見られ、さらに故意の侵害と見なされると3倍になるので、実に60億円にもなる。しかも大勢の弁護士、パラリーガルがインディアナポリスからここまで来て、何日もホテルに泊まっているから、その経費もバカにならない。

 法廷開始の数日前に、ウィルソン社長は、3%のローヤルティを払う和解提案をヤマザキ・メディカル社に出した。しかしこれは直ちに拒否されてしまった。ヤマザキ・メディカル社は、訴訟で勝つという相当の自信があるようだ。裁判官が法廷開始直前に、特許が有効であるとしたこともその一因であろう。

 安斎弁理士と一緒に朝9時に法廷に行くと、そこには両サイドの弁護士達が両方の弁護士席に座って待っていた。その真後ろの傍聴席には、法廷弁護士を支援する若手の弁護士やパラリーガルが資料の山を抱えて待機している。

 朝の深閑とした冷たい空気の中で突然シェリフが叫んだ。
「全員起立(All rise)!裁判官殿(your honor)の入廷!」
全員一斉にどやどやと立ち上がり、そして正面の左側の隅のドアがギィーと開くと、裁判長が入り、着席しながら、
「全員着席(Please be seated)」
と述べて、再び静かな法廷に戻った。そして、
「それではこれからヤマザキ・メディカル社対ウィルソン社の訴訟を開始する」
と述べ、シェリフに向かい、陪審員を入廷させなさい、と促した。

 正面の反対側のドアが重々しく開かれると、陪審員達がぞろぞろと入ってきた。その瞬間、我々サイドのエムハルト、ベルベスコス等の弁護士達そしてウィルソン社長の全員が起立して陪審員を迎えた。一方ヤマザキ・メディカル社のシュナイダー、ケリー、その他の弁護士達は一瞬虚を突かれ、自分たちも起立すべきか迷ったようだった。しかし結局シュナイダー達は座ったままだった。つられて立ち上がるのはプライドが許さないのだろう。陪審員達は、原告側の弁護士達は一人も立たず、被告側の弁護士達は全員起立しているという異様な雰囲気の中で着席した。

「では原告弁護士、冒頭陳述を始めなさい」
シュナイダー弁護士の巨体がすっくと立ち上がった。そして自信たっぷりに、ヤマザキ・メディカル社はこのアメリカで合法的な特許を取得し(と、リボンの付いた特許証を陪審員に見せ)、そして立派なビジネス活動を行って、アメリカの医療社会に貢献してきた、しかしウィルソン社が勝手にその特許を使って莫大な利益を得ている、当然特許侵害になるので、損害賠償、そして二度とカテーテルを作らせない差し止めを認めてほしい、と訴えた。

 彼の自信満々な姿勢は、特許権者という立場からはいいのかもしれないが、傲慢という印象を与えないでもなかった。日本企業を代理しているという認識が少ないのが、同じ弁護士として気にかかった。

 これに対し、ウィルソン社を代表して冒頭陳述を行ったのは、小柄なエムハルト弁護士の方だった。彼は切々と丁寧に、ウィルソン社はカテーテルの独自開発を行い、決してヤマザキ・メディカル社の特許を真似したわけではない、事前にワグナー弁護士が鑑定を行い、特許侵害はなしと判断してから生産・販売活動を行っている、特許クレームの「少なくとも約10℃」という記載は曖昧であるし、もし範囲に幅があるにしても、「少なくとも」という表現がある限り10℃を超えることは許されない、従ってウィルソン社の4つのカテーテルはいずれも特許侵害はない、と締めくくった。彼の真摯な口調はシュナイダーとは全く対照的であった。

 陪審員は全員一応真剣に聞いているようであるが、どの程度理解しているかは全く見当が付かない。ウィルソン社の中では最も若いズレイタス弁護士が陪審員対策係で、彼は裁判長や弁護士らには一瞥もせずに、陪審員の表情だけを追い、克明に一人一人の陪審員の評価をメモしていた。誰がどのような反応を示すかを把握し、その後の弁論の仕方の材料にするためである。シュナイダー側にはそういう対策係はいないようだった。

 法廷にはそれから数々の専門家証人が出廷し、特許の内容、技術内容を説明し、更にヤマザキ・メディカル社の社員や重役も証人として引き出され、それぞれの立場から証言を行った。一人一人の証人に対しては、ベルベスコスやワグナー達が代わる代わる反対尋問を行った。昼食時や休憩時にはズレイタスが陪審員情報を与えて、話し方にメリハリをつけていた。

 こうして数日してから、ヤマザキ・メディカル社は、ウィルソン社のカテーテルが約10℃で反応することを実験した研究社員を法廷に立てた。その日本人社員の緊張の度合は、極限に達していることがありありと分かる。彼をベルベスコスが反対尋問する。
「あなたはウィルソン社のカテーテルも<約10℃>で反応するという実験結果が得られたと証言しましたね?」
「・・・はい」
半分口が震えている。
「何故、あなたが実験を行ったのですか?」
「何故?」
「そう、何故、あなた自身が行ったのですか?」
「それはそうするように上司に命令されたからです」
「何故、第三者の会社ないし他の研究所に実験を依頼することを提案しなかったのですか?」
「異議あり。それは会社の方針に関わることで、この証人は実験を行っただけで、方針を述べられる立場ではない証人だ」
シュナイダー弁護士が猛然と抗議した。社の方針を知りたいなら相応の研究部長か誰かに聞くべきだという異議だろう。
「それでは質問の形を変えます」
と、ベルベスコスは余裕綽々で言った。
「あなたが実験を行ったとき、あなたは上司に対して第三者機関に依頼すべきだと言いましたか?」
「・・・いいえ」
「何故、あなたは言わなかったのですか?」
「・・・・・」
「ウィルソン社のカテーテルが何℃で反応するかは 大変重要な問題です。何故あなたは中立機関に依頼しようとは思わなかったのですか?あなたの実験はヤマザキ社の実験ですから、データに中立性は全くないのではないですか?」
「異議あり!ヤマザキ社は正当な実験を行った。問題があるならその実験方法を質すべきだ!」
ベルベスコスはニヤリと笑って、聞き直した。
「ウィルソン社のカテーテルが約10℃で形状を変化させたとき、その曲がり度合をどうやって測定しましたか?」
「物差しと目測で測定しました」
「え!?」
「・・・物差しと目測ですが・・・」
証人の額は脂汗でベトベトだった。
「測定装置は用いなかったのですか?」
「カテーテルの曲がり度合を測る装置は当社にはないので・・・」
「これは人間の血管に入る道具ですよ!数ミリの誤差があっても血管に突き刺さって破裂することさえあるのに!」
「・・・」
「物差しと目測では、数ミリの誤差は当然出ますね?」
「異議あり!証人を脅かしてはならない」
「脅かす?とんでもない。これは単純な質問ですよ!」
「証人は質問に答えなさい」
裁判長が促した。
「・・・数ミリかどうかわかりませんが、多少の誤差はやむを得ないと思います。」
「その多少の誤差で血管に突き刺さることもあり得ますね?」
「・・・まあ、絶対ないとは言えません」
「裁判長、ウィルソン社のカテーテルが約10℃で反応したというヤマザキ社の実験結果は信憑性に欠け、証拠として提出するには不十分です」
「異議あり!ヤマザキ社はベストの方法で行ったのだ。証拠価値は十分ある」
「ベストか否かは中立機関の装置を用いた方法と比べなければわからない」
「しかしヤマザキ社は、この技術分野では最も進歩した会社だ」
こうしてベルベスコスとシュナイダー弁護士は、ヤマザキ社の実験結果について激しくやりあった。

 結局、裁判長は、
「この実験が証拠となり得るかについては、もう少し審理を止めてから判断する」
としたのである。

 裁判長が直ちに証拠として認めず、様子を見ることにしたことは、彼自身も疑いを持ったことになり、ヤマザキ社側にとっては大きな打撃だった。陪審員はこういう些細な動きに影響され易いのだ。

 次に問題になったのは、「少なくとも約10℃」という修正を、誰が、いつ、どういう意味で行ったかであった。これについてベルベスコスは、5人の発明者のデポジションの記録を法廷で読み上げる作戦に出た。
「裁判長、次に我々はデポジションの記録を読み上げますが、5人の発明者は皆日本人ですので、その部分は日本人の方に読んでもらいます」
「シュナイダー弁護士、異議はあるかね?」
虚を突かれたシュナイダーがどう答えるべきか躊躇した。
「・・・えー、・・・何故わざわざ日本人に読ませなければいけないんですか?」
「それは、この方々はヤマザキ社を退職して、この法廷には出られないからです。もしこの方々がここに来られているならば、直接聞くことができるのでその必要はありませんが」
ベルベスコスが当然のように答えた。

 5人の発明者がアメリカに来なかったり、覚えていないことは知らぬ存ぜぬで通せ、と指示したのは、シュナイダー弁護士の作戦でもあったのだろう。それが今は裏目に出つつある。リンダ・ケリーも必死になって何とかしようとしているが、今となってはどうしようもない。

「それではベルベスコス弁護士、始めなさい。」
ベルベスコスは法廷の証人席にイデアトラベル社社長の藤山雄一郎氏を導いた。彼は、昔アメリカでスキーを教えていたこともあって、小柄だがこういう人前、特にアメリカ人の前では場慣れしているので堂々としている。ベルベスコスもそれが非常に気に入っているようだ。

「では発明者の一人のデポジション記録15ページ目から入ります。」
と言って、ページをめくった。藤山氏も同じページを開いて待っている。
「質問:この「少なくとも約10℃」という修正はあなたが入れましたか?」
「答:違います」
「質問:誰が入れましたか?」
「答:わかりません」
「質問:誰の筆跡ですか?」
「答:知りません」
「質問:「少なくとも約10℃」とはどういう意味ですか?」
「答:わかりません」
「質問:あなたはこの特許の発明者の一人ですよ。それでもわからないのですか?」
「答:わかりません」
「質問:推測でも言えませんか?」
「答:わかりません」
こういう知らぬ、わからぬという応答の紹介が延々と続いた。
「次に二人目の発明者のデポジション記録を読み上げます」
と言って、また同じことが始まった。これも発明者の答は全く同じだった。
そして三人目の発明者に入った。
ベルベスコスは自信たっぷりに、そしてその内半分笑いを噛み殺しながら読み続けた。藤山氏は専門用語の英語で多少つっかえた所もあったが、ほどほどの英語で、日本人発明者の答弁の感じをうまく表していた。

 日本人発明者の「わかりません」「知りません」の連発に、そのうち陪審員達からも声にならない程度の失笑が読み取れるようになった。

 シュナイダーは苦虫を噛み潰したような顔になったが、異議ありとは言いようがない。リンダ・ケリーも下を向いたままだ。ウィルソン社長は真剣な顔付きで、一言も聞き逃すまいと、聞き入っている。こうして40分以上たって、ようやく5人の発明者のデポジション記録の読み上げが終わった。安斎弁理士は、<デポジション記録ってこうやって使う物なのか>と、感心したような、空恐ろしいような顔付きをしていた。

 ベルベスコスはその巨体から大声で、
「以上のようにこの特許については発明者は5人とも「少なくとも約10℃」の意味が全く分からないと証言している。これは特許として意味がないのと同じだ。こんな特許を侵害しようがない」
と締めくくった。
「異議あり!発明者はそうは言っていない。証言を歪曲して伝えている!」
「我々は証言の記録をそのまま読み上げたまでだ。発明者がそういったか否かは陪審員の皆様が決める問題である」
ベルベスコスはピシャリと封じた。
シュナイダーはもう真っ赤になっていたが、それ以上何も言えなかった。

 法廷はその後しばらくしてから両弁護士の最終陳述に入り、陪審員は評決の討議のために別室に入った。後はその結果を待つだけである。

 陪審員が評決に達したのは次の日だった。相当もめたことが予想される。全弁護士、ウィルソン社そしてヤマザキ社の全員が水を打ったように静かな法廷でその発表を待っていた。

「陪審員長、評決を読み上げて下さい」
裁判長の声が法廷内に響き渡る。
「我々陪審員は全員一致で評決に達しました」
両弁護士団が起立して聞いている。ウィルソン社長、ベルベスコス達はほとんど直立不動だ。

「ウィルソン社の15℃で反応するカテーテルは特許侵害であることをヤマザキ・メディカル社が証拠の優劣の基準で立証したか − 我々の答は<否>」
ベルベスコスのこぶしが一瞬更に強くなった。第一関門突破だ。
「ウィルソン社の13℃で反応するカテーテルは特許侵害であることをヤマザキ・メディカル社が証拠の優劣の基準で立証したか − 我々の答は<否>」
よし!これも侵害がない。シュナイダーの顔が曇ってきた。しかし問題は11℃と10.5℃のカテーテルだ。これらは「少なくとも約10℃」に近い。
「ウィルソン社の11℃で反応するカテーテルは特許侵害であることをヤマザキ・メディカル社が証拠の優劣の基準で立証したか − 我々の答は<否>」
やった!これも侵害はない!最後はどうだ?
「ウィルソン社の10.5℃で反応するカテーテルは特許侵害であることをヤマザキ・メディカル社が証拠の優劣の基準で立証したか − 我々の答は<否>」
何と、これも侵害なしの結論だ!完勝だ!ベルベスコスは肘をわずかに曲げて、小さなガッツポーズを作った。ウィルソン社長の顔はわずかに赤くなって、小さくうなずき、ちらっとエムハルトとベルベスコスを見た。感情を抑えたのは、裁判官、陪審員に敬意を払ってのことだろう。ベルベスコス達は、必死に笑いを噛み殺している。

 やがて法廷の全ては終わり、両側の弁護士達はお互いに歩み寄って握手をした。さすがにシュナイダーやケリーの表情は固い。

 我々全員が控え室に入り、ドアを閉じるとベルベスコスはとたんに大声で、
「やったー!勝ったぞー!」
と大歓声をあげた。そして全員が私と安斎弁理士に握手を求めてきた。ウィルソン社長も勝った!勝った!と次々に握手を求めた。私は若干複雑な気持ちだった。弁護士である以上クライアントのために全力を尽くさなければならない。とはいえ、日本企業を負かすことはやはり気分が良くない。

 しかし日本人が日本企業のみを弁護していたら、日本企業はアメリカで本当の国際企業にはなれない。日本人も真の国際人にはなれない。

 アメリカには世界中の人種が集まっており、人種や国籍を超えて働いて、初めて評価されるのである。日本企業はアメリカという市場で莫大な利益を上げている。しかしアメリカで活動する以上、アメリカ企業としてアメリカ社会に貢献しているからこそ受け入れられる。ここで勝負するときは、アメリカ企業にならなければならないのだ。

 これはアメリカ企業が、日本市場でアメリカ的ビジネスをごり押しした場合は成功しないのと同じである。日本に住むアメリカ人は、アメリカ企業だけでなく日本企業のためにも貢献すべきことは当然であろう。これがヤマザキ・メディカル社に理解できるかどうかはわからないが、時間を待つしかない。

 その夜はベルベスコス達と深夜まで大宴会となった。最初はビール、ウィスキー、日本酒等を飲んでいたが、ギリシャ系アメリカ人のベルベスコスは、
「こんなのは本当の酒ではない。本物の酒は、ギリシャのボーゾーという酒だ。こいつをちょっと探してくる」
と言って、赤い顔をして夜中の町へ出ていった。しかし酒店はもう閉まっていたので、とあるバーに入った。バーテンは持ち出しのために売ることはできない、と渋っていた。彼がギリシャ系アメリカ人と分かると、ベルベスコスはギリシャ語で、勝利の祝いなんだ、と説明し始めた。途端にバーテンは、よし、それならビンごと持っていけ、とギリシャ語で返事した。ベルベスコスはそれを我々のバーに持ち込んで、こいつだ、こいつが本物の酒だ!と言って我々に振る舞った。恐ろしく強い酒だったが、実にうまかった。こうして我々は明け方近くまで飲み明かした。

 それからしばらくして、インディアナポリスの有名な世界最大の自動車レース、インディ500マイルのレースに招待され、そこでもボーゾーを飲むことになった。
(完)


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