中小企業診断士

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後藤 博の1q81

「コンサルタント」という職種が人口に膾炙されるようになるずっと前から、「中小企業診断士」という人々が日本流のコンサルティングを草の根レベルで展開していました。
それでは、数十年前に日本が経済成長を遂げていく舞台裏で、診断士は裏方としてどのような役割を果たしてきたのでしょうか。その姿をいきいきと伝えようとしている人は少ないかのように思われます。
そこで本連載は、1981年に診断士登録をした後藤博講師に、自身の30年のキャリアを振り返ってもらうことで、当時の診断士の実務や役割にスポットライトをあてていきます。
古きをたずねて新しきを知る。温故知新の精神で、目指したい診断士像を探す一助になればと思います。
※本連載はメールマガジン「ジャーナル536」で配信した内容を転載しております。

第1回 1Q81:診断士デビュー

診断士デビュー

LEC専任講師の後藤です。1Q81年(昭和56年)に中小企業診断士として資格登録し、今年で30年を迎えます。このコラムでは、この30年間の私の体験を通して見た中小企業診断士の「仕事」を紹介していきます。これからコンサルタントとしての独立(あるいは企業内診断士としての自立)を目指し中小企業診断士受験に挑戦する方々が、中小企業診断士として働くことの意義を少しでも実感していただけると幸いです。

まず最初に、中小企業診断士制度という「資格の意味」について確認しておきましょう。中小企業診断士資格取得の目的(活用形態)は3つあります。「公的業務(公的経営コンサルタント)」「民間の経営コンサルタント」「企業内診断士(コンサルティングファーム勤務を含む)」です。これから、私が紹介していく診断士の仕事は「公的業務」が中心です。

「公的業務」の業務内容は、中小企業基盤整備機構、商工会議所、都道府県等の中小企業に対する専門家派遣や経営相談室などの経営支援業務が中心です。また、国、地方自治体の中小企業支援機関のプロジェクトマネージャーなど公職につく場合もあります。

コンサルタント業務の日数 なお、社団法人中小企業診断協会が平成17年9月に行った調査によると、中小企業診断士の業務内容の日数は、「経営指導」が27.5%、「講演・教育訓練業務」が21.94%、「診断業務」が19.69%、「調査・研究業務」が12.84%、「執筆業務」が11.56%となっています。この数字は、「公的業務」以外の業務も対象にしています。
私は、1981年に32歳で資格登録してから、2年後に独立しました。その間は、平日は会社、土日は受験指導と民間コンサルという二足、三足のわらじでした。独立した初年度に、受験指導でお付き合いのあった、地方自治体の中小企業指導担当者の方からの打診があり、「公的業務」へ従事することになりました。肩書きは「非常勤中小企業診断員」で、地方公務員に準ずる資格です。この資格で7年ほどお世話になり、その後も声をかけていただきました。今から思うと、この時期の様々な診断・指導の業務経験が、その後の経営コンサルタント(中小企業診断士)としてのスキル形成と信用力につながったと言えます。

次回以降、時代の動きと中小企業の課題、そして、私が従事した中小企業診断士としての支援業務を、主な中小企業政策とからめながら紹介していきます。「公的業務」では、その時代の中小企業の課題を反映した中小企業政策を最前線で具現化していくことが診断士の「仕事」なのです。また、私が経験できなかった業務分野で、記憶に残った先輩・同僚の仕事や、記憶に残った経営者の方なども紹介していくつもりです。

 

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第2回 1Q84:公共診断と中小企業政策実施機関

公共診断の時代

1983年に独立して、本格的に中小企業診断士としての業務を開始しました。「公的業務」の内容は、その時代の中小企業の課題を反映したメインの中小企業政策によって大きく変化します。
戦後における中小企業と中小企業政策の変遷は、次の5時期に区分されています。

中小企業と中小企業政策の変遷
  • (1)中小企業政策の基礎が形成された「復興期」(1945年〜54年)
  • (2)我が国経済が飛躍的に成長し、中小企業と大企業の諸格差が縮小の方向に向かった「高度成長期」(1955年〜72年)
  • (3)第一次石油危機を契機として安定成長の時代となり、中小企業政策が多様な展開を見せた「安定成長期」(1973年〜84年)
  • (4)バブル景気とプラザ合意以降の大きな環境変化の中で中小企業政策が一層多様化する「転換期」(1985年〜98年)
  • (5)「中小企業基本法」が改正され、中小企業と大企業との格差是正から選択と集中による支援へと基本理念が見直されて現在に至っています。(1999年〜現在)

私が、診断士デビューした時期は「安定成長期」の終盤、80年代後半からはじまるバブルの前夜であり、わが国経済は、石油危機後緩やかな回復過程をたどりつつありました。また、80年の中小企業事業団(現在の、中小企業基盤整備機構)・中小企業大学校の開校に見られるように、従来からの金融支援施策以外の人材育成、経営・技術支援など多様な中小企業政策が展開されていました。

ある意味では、ラッキーな時期での診断士デビューだったと言えるでしょう。この頃のスケジュール表を見ると、かなりの日数で「公的業務」に携わっています。一番多い仕事は、県の「商工指導センター」(現在の中小企業支援センター)での個別企業の経営診断(「公共診断」といいます)ですが、次は、国レベルの政策実施機関である「中小企業事業団」での仕事でした。とくに、両者が関係する「高度化(事業)診断」に参加する機会を得たことが大きな経験になりました。商店街を街ぐるみで改造して街全体の活性化を図る集積区域整備事業などが代表的な高度化事業です。これらの事業は単に中小企業者の体質強化を図るだけではなく、公害対策、都市過密対策や地域振興に貢献しており、他の中小企業施策には見られないダイナミックなものでした。

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第3回 1Q86:小規模企業支援への傾斜

激増する地方出張

独立して数年。この頃から、景気回復の兆しが顕著になります。そのせいか、県と国の仕事を通じて面識のできた地域の商工会や商工会議所からの仕事が増えてきました。それも、地元の首都圏だけでなく、地方からの依頼です。小規模企業の診断・指導ニーズは、経営に少し余裕があるときに生まれます。

商工会・会議所は、公的性格を持つ地域の経済団体であり、主に小規模企業の支援を行っています。商工会は60年に法制化され、当時、不十分な労働条件、設備や技術の立ち遅れ、家計と経営の未分化等が問題とされていた小規模企業の経営の改善・向上を図るため「経営改善普及事業」を行っています。また、「経営改善普及事業」を資金面から支える施策として、73年に「小企業等経営改善資金融資制度」(マル経)が創設されています。

「経営改善普及事業」の守備範囲は広く、色々な「公的業務」を体験することができました。その一つが、小規模企業の経営改善・向上を図るためのセミナー講師業務です。当時のスケジュール表を見ると、2日間の間に、富山県の砺波線沿線の商工会で、3回も「簿記・会計」のセミナーを実施していました。特に印象に残っているのは、ある会場で、いつも遅刻してくる魚屋の社長が(それも、長靴・前掛け姿で)、その年の簿記検定試験に合格したという葉書をくれたことです。

「高度化事業」などの大プロジェクト参加も診断士としてのスキルとキャリアを形成するためには重要ですが、上記のような仕事を通じて、たくさんの中小企業経営者と本音で語り合える機会を持てたこと(だいたい、セミナー終了後は飲み会に誘われます)は、頭でっかちになりがちな新米診断士にとって大変貴重な経験になりました。

出張が多かったのもこの頃です。上記のようなセミナー業務のほかに、もう一つ、長期出張の案件がありました。私の先輩Kさんは、「経営改善普及事業」の一つ、「むらおこし事業」にのめりこんでいました。Kさんは早くから、大分県で始まった「一村一品運動」に着眼・研究し、誰よりも早く、この運動を施策化した「むらおこし事業」に関する本を書きました。「一村一品運動」とは、80年から大分県の全市町村で始められた地域振興運動で、稲作に適しない山間地帯であることを逆に生かし、「梅栗植えてハワイに行こう」というキャッチフレーズの下、各市町村がそれぞれひとつの特産品を育てることにより、地域の活性化を図るというものです。大分麦焼酎などは、この運動により開発されたのです。Kさんから、「むらおこし事業」のパートナーに指名された私は、おかげですっかり飲兵衛になってしまいました。

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第4回 1Q88:小売商業支援への傾斜(1)

小売商業支援への傾斜

86年の円高不況以降、我が国においては、内需主導型の経済への転換が強く求められるようになりました。流通業、特に、小売商業業振興もその一環としての政策課題となりました。小売商業に関する政策は、70年代初頭から大型店の進出による地域中小商業への影響の観点から、73年に「大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律」(大店法)が制定されるとともに、小売商業振興に関して「中小小売商業振興法」が制定され、振興指針に基づく高度化事業が行われていました。

このコラムの第2回で紹介したように、この頃私は、商店街を街ぐるみで改造して街全体の活性化を図る「高度化(事業)診断」に参加する機会を得ました。この仕事をきっかけとして、80年代後半〜90年代前半における私の「公的業務」の中心は小売商業振興でした。この頃のスケジュール表をみると、様々な機関で小売商業振興に携わっています。国レベルでは、中小企業事業団(現在の中小企業基盤整備機構)での「高度化診断」・「商店街活性化シニア・アドバイザー事業」、K県の「商店街診断」・「広域商業診断」、Y市の「ショッピングセンター開発事業」など、いずれも比較的長期のプロジェクトです。その中でも、最も深く関わったのがK県の「商店街診断」でした。

大店法(現在は「大店立地法」として規制目的を転換している)は、急成長していた総合スーパー(GMS)などの出店を規制することにより、中小小売商業を保護する目的を持っていました。逆にいえば、それだけ、中小小売商業は苦境だったのです。商店街の衰退はこの頃から顕著になっていました。一般に、「商店街診断」は次のステップで実施します。

  • (1)地域商業者の商店街活性化ニーズの把握
  • (2)地域商業者との勉強会(活性化先進事例研究など)と活性化コンセプトの仮説設定
  • (3)地域関係者との懇談会と消費者・商業者アンケート調査、現地調査
  • (4)活性化報告書作成と報告会

「商店街診断」に従事することにより、コンサルタントとしてたくさんの貴重な経験を積むことができました。商業集積を構成する個別店舗も同時に診断することになりますので、集中して様々な業種・業態の小売業を診ることができます。また、アンケート調査手法や懇談会運営手法(今でいえば、ファシリテーション技法)がマスターできました。勉強会では、店舗開発・設計の専門家などと一緒に各商店街を回ります。何回かご一緒した店舗開発・設計の専門家のお話を聞いているうちに、その方が、診断士1次試験委員(旧試験制度「店舗施設管理」)であることに気がついたということもありました。

次回と次々回は、「商店街診断」以外の小売商業振興の仕事を紹介します。

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第5回 1Q90:小売商業支援への傾斜(2)

小売商業支援への傾斜

86年の円高不況以降、我が国においては、内需主導型の経済への転換が強く求められるようになりました。流通業、特に、小売商業業振興もその一環としての政策課題となりました。小売商業に関する政策は、70年代初頭から大型店の進出による地域中小商業への影響の観点から、73年に「大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律」(大店法)が制定されるとともに、小売商業振興に関して「中小小売商業振興法」が制定され、振興指針に基づく高度化事業が行われていました。

中小企業診断士デビュー当時は、「事後診断」といって、先輩診断士の個別店舗診断報告書の実施状況をフォローし報告する仕事が主なものでした。この仕事は、1日に3件程度さばかなければペイしないといった、あまり条件が良いとはいえないものでした。ただし、商業診断のコツを覚えることができ、新米診断士にとっては有難いものでした。

何件もの「事後診断」をやっていくうちに、気がついたことがあります。同じ先輩診断士の報告者を読むと、どの報告書もほぼ同じ改善提案が書かれているのです。確かに、小規模小売業の課題には共通点がたくさんあります。しかし、コンサルティングは「大量生産品」ではなく、一件一件「手作り」であるべきです。これ以降、「大量生産コンサルティング」は「禁じ手」にしてきました。

「事後診断」で少し経験を積むと、単独で個別診断や調査の仕事が回ってきます。「コンビニエンス・ストア(CVS)経営マニュアル作成プロジェクト(PJ)」は、80年代後半に携わったもので、K県での調査を中心とした、それまでにない種類の仕事でした。73年の大店法の施行で大型店の新規出店制限に直面した小売業界は、地域密着型の小型店舗を出店し始めます。これがCVSの登場です。今では、独立CVSはほとんど存在しなくなりましたが、80年代後半では、バブル景気の後押しもあり、一般小売店が見よう見まねでCVSへと転換していったのです。

このPJは、いわば素人である小規模小売業者のCVSへの業態転換を支援するため、大手フランチャイズチェーン(FC)の成功要因とオペレーションを研究し、それを移転しようとしたのです。このPJに参加することで、
マニュアルを作成し(「書く」)→セミナーを開催し(「話す」)→業態転換を現場で支援する(「診る」)→そして、その結果をマニュアルの改訂に反映するという、
「コンサルティングの循環過程」を体験しました。

「商店街活性化シニア・アドバイザー事業」は全国エリアでの仕事で、ほとんどが1〜2泊の出張です。なぜか、四国(徳島)の仕事が多く、活性化テーマとしてはポイントカードの導入とそれを中心にしたソフト事業(販売促進事業)支援が中心でした。高度化事業はハード事業(施設整備)が主でしたので、スキルアップのためにはとても有難いものでした。この仕事を通じて貴重な経験をしました。この話は次回に回します。

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第6回 1Q93:小売商業支援への傾斜(3)

小売商業支援への傾斜

前回に続き、「商店街活性化シニア・アドバイザー事業」の話です。80年代後半から90年代前半では、商店街活性化テーマとしてはポイントカードの導入とそれを中心にしたソフト事業(販売促進事業)支援が中心でした。それまでのスタンプをポイントカード化し、販売促進に役立てるとともに、高度な使用法として顧客管理につなげようとするものです。

ある商店街でポイントカード化を推進しようとしたところ、消費者懇談会で反対の意見が出ました。従来の「スタンプ」(シールをスタンプ台に張り付ける方式)を残してほしいという意見です。高齢者の方が孫にプレゼントするために、スタンプ台にシールを張り付けることを楽しみに、シールを集めているからということなのです。郊外ショッピングセンター(SC)に顧客を奪われている地元商店街の主要顧客は高齢者の方です。この話をきっかけに、高齢者にやさしい商店街づくりを考えるようになりました。

90年代初頭に携わったものに、Y市が関与した「W・SC開発事業」があります。80年代後半のバブル期にプランされ、大手小売業を核店舗とし、地元小売業者・サービス業者のテナントで構成する生活提案型の画期的なSCでした。「SC開発事業」は長期のプロジェクト(PJ)です。前任者から引き継いで私が担当したのは、地元中小企業者出店ブースのコンセプト設定とテナント選定でした。渡された資料を見ておどろいたのは、当初にテナント入居を予定していた地元小売業者・サービス業者がほとんど入居を辞退していたことです。バブル崩壊の影響を垣間見た思いでした。

私にとって、「公的診断」として最も貴重な体験は「広域商業診断」に参加できたことです。これは、商業のみならず、農業・工業振興を含む都市開発全体を視野に入れた診断です。この仕事では、様々なプロコンとの協働を通じてコンサルタントとしての知見を得ることができました。小売商業政策はその後、1998年に「まちづくり3法」と言われる「中心市街地活性化法」、「大規模小売店舗立地法」が成立し、「都市計画法」が改正されました。これにより、中心市街地活性化法による中心市街地への各種支援を行うこと、大店立地法による大型店周辺地域の生活環境への配慮を求めること、都市計画法による大型店の立地可能地域の決定を行うことが定められ、従来の商業調整から総合的なまちづくり政策へと大きく転換されました。つまり、「広域商業診断」が主流となったのです。

我々の世代の商業コンサルタント(中小企業診断士)の間では、「広域商業診断」に携わることができれば、キャリア的には「一丁上がり」ということもあり、この頃から私は、小売商業振興以外のコンサルティング業務を志向し始めました。

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第7回 1Q96 : 新事業開拓支援への傾斜とネットワーク(1)

小売商業支援への傾斜

1995年に、経営コンサルティングと中小企業診断士受験指導を主な事業とする法人を設立しました。会社経営者、経営コンサルタント、そして受験指導講師という3役を並立していくのはかなりの負担です。幸いなことに、それまでの受験指導の中から、様々な分野の専門知識を持つ優秀な人材が輩出してきました。この頃から、私の「公的業務」は、彼らとの協働のもとで展開されます。

86年の円高不況以降、我が国においては内需主導型の経済への転換が強く求められるようになり、この流れから、様々な中小企業施策が展開されました。私が特に着目していたのは、中小企業の新分野開拓です。88年には、事業分野を異にする中小企業が共同して異業種組合を設立し、技術や経営ノウハウを相互補完し、新たな商品を開発する融合化を支援するため「融合化法」が制定されました。その後、異業種協同組合が多数設立されており、これらの前提となる異業種交流グループも広がりを見せていました。

この異業種交流グループをコーディネートしていく役割(当時は「カタライザー」と呼ばれていました)が中小企業診断士に求められていました。しかし、異業種交流グループを取りまとめ、具体的な製品開発にまで持っていくためには、広く深い専門知識が要求されます。そのため、多くの中小企業診断士は、異業種交流グループの会合を司会する、単なる「語らいざー」で終始する方が多かったのです。私の場合は、幸いなことに、多分野の専門コンサルタントからの助言を受け、乗り切ることができました。ある先輩診断士が、これからの中小企業診断士は「何を知っているか」ではなく「誰を知っているか」が大事なのだということを常日頃からおっしゃっていましたが、改めて、人的ネットワークの重要性を実感しました。

99 年には、既存の中小企業の経営革新を支援することを目的とする「中小企業経営革新支援法」が制定されました。同法に基づき、新商品・新サービスの開発などの新たな取組を通じて経営革新を図る中小企業者・組合が、相当程度の収益向上を図る「経営革新計画」を策定し、都道府県知事の承認を受けると、研究開発から販路開拓に至るまで支援を受けることができるというものです。先見性のある地域金融機関がこの施策に着目しました。

一般の中小企業経営者にとって、「経営革新計画」を自前で策定することは、相当、難しいものです。ある地域金融機関では、この「経営革新計画」の策定を支援することで、地域中小企業の活性化につなげるという事業をスタートさせました。このための専門部署を設置し、3年間で50人の中小企業診断士を配置するというプランです。ここから、私の講座を卒業した金融機関の中小企業診断士との連携による仕事がスタートしました。

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第8回 1Q99 : 新事業開拓支援への傾斜とネットワーク(2)

小売商業支援への傾斜

中小企業を取り巻く環境の変化に伴い、中小企業政策の基本方針を示す「中小企業基本法」は、抜本的に改正されることになりました。1999年に改正された「中小企業基本法」では、旧基本法の政策目標に示されていた「中小企業の経済的社会的制約による不利の是正」の文言が削除されました。つまり、中小企業に関する基本的施策については、いわゆる弱者救済的な社会政策型施策から自助努力を支援する競争促進型施策へとその重点を移すことが明文化されたのです。

私がデビューした1Q81年当時も、すでに、このような方向での中小企業政策の転換の必要性は認識されていましたが、まだまだ、弱者救済的な中小企業政策が色濃く残っていました。

改正された中小企業基本法の基本理念・基本方針に則して、中小企業に関する個別の施策が実施されています。経営の向上に取り組む中小企業の支援策としては、中小企業が事業活動を行うに際して直面する技術力の向上や生産性の向上など様々な経営課題を解決するため、創業・経営革新、連携・共同化、ものづくり、事業承継、事業再生、下請取引、小規模企業などに関する多様な支援策が講じられ、現在まで続いています。

中小企業診断士としては、すべて携わってみたい魅力的な事業でした。しかし、この頃から、私の「公的業務」は比重を低下させていかざるを得なくなりました。そのため、唯一、新規事業開発支援事業のみに絞り込むことにしました。

1999年の中小企業基本法改正に伴い、国、都道府県が自ら行う中小企業指導事業を抜本的に見直す必要があるとされ、2000年に「中小企業指導法」は「中小企業支援法」に改められました。同法の内容の一つが、中小企業診断士の資格を「都道府県が行う公的指導事業を担当する者」の認定から、「幅広く経営診断等の業務に従事する者」の認定(国家試験化)へと拡充するものでした。もう一つが、都道府県の行う中小企業支援事業のうち、高度な技術開発を行う企業に対する経営診断などを、都道府県が指定する「都道府県等中小企業支援センター」に委託できるとするものです。我々の仕事の仕組みが変化しました。

私の講座の優秀な卒業生がいました。私より少し年上だったのですが、経営者の経験をもつ彼は、K県の都道府県等中小企業支援センターのプロジェクトリーダーに抜擢されました。その後、彼が病気で亡くなるまで、彼とのネットワークでの新規事業開拓支援事業に従事しました。 ご愛読ありがとうございました。

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