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【今回のまとめ】
1.歴史とは、時系列によるロジカル・シンキングである。
2.「WHY SO」という原因追求は、過去へ遡る思考である。
3.「SO WHAT」という課題設定は、未来へ進む思考である。 |
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これまで白書を題材に、ロジカル・シンキングの考えに沿って、統計の読み方と中小企業白書の読み方と統計について話をしてきました。
今回はこうした流れを受けて、中小企業政策の歴史に焦点を当ててみます。
「歴史なんて古くさいなぁ」と思う人もいるかもしれませんが、物事を現在・過去・未来の時間軸で捉えるのはとても大切なことです。それは、ロジカル・シンキングのプロセスそのものだからです。
例えば、「WHY SO(なぜ、そうなるの?)」という原因追求は、過去へ遡る思考ですし、「SO WHAT(そこから、何が言えるの?)」という課題設定は、未来へ進む思考です。歴史とは、まさに時系列による論理のつながりなのです。
ここでは、政策の歴史に入る前に、「たとえ話」をしながら中小企業の歴史について簡単に眺めておきます。
ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン(電車の揺れる音)。
今日もポマードだらけのスーツくん(大企業)たちは、電車に揺られながら、市場競争に出かけます。そんな電車の中で、もみくちゃになっているのが、小さなちびっ子(中小企業)たちです。
もちろん、ちびっ子くんだって席(市場ポジショニング)に座ってくつろぎたいのですが、体(規模)の大きなスーツくんにはかないません。いつも席取り競争からはじきだされてしまいます。
で、こんな様子を見かねた車掌さん(役人)は、ちびっ子くんに、1.仲のよいお友達(組織化、共同化)と一緒に電車に乗ることや、2.栄養(資金、技術指導)を摂って、早く大人になること(近代化)等、を勧めて(指導)います。
旧中小企業基本法(1963年制定)では、中小企業は過小過多(*1)の社会的弱者として、保護の対象のように扱われていました。当時の中小企業は、大企業を頂点としたピラミッド社会の底辺に位置する遅れた(前近代的な)存在(二重構造問題)(*2)であると考えられていたのです。
でも、日本の産業構造が変わってくる(知識集約化、サービス経済化)70年代あたりから、今まで見たこともない現象が観察されるようになりました。
なんと!満員電車(市場の成熟化、安定成長時代)の中で、スーツくんたちの足元(ニッチ空間)をもの凄いスピードで走り回る中小企業くんたちが現れ始めたのです。ニッチ企業やオンリー・ワン企業、ベンチャー企業等の出現です。
その後、約20年の歳月を経て、新中小企業基本法(1999年改正)の制定となったわけです。
新基本法では、中小企業を「日本経済のダイナミズムの源泉」と位置付け、1.新たな産業の創出、2.就業機会の増大、3.市場における競争の促進、4.地域経済の活性化、を担うべきその主役として位置付けました。
政府の中小企業政策が、画一的な保護から市場メカニズムの重視に変わり、その役割も指導から支援・助言(*3)に変わったのです。
厳密さに欠ける話でしたが、なんとなくストーリーが伝わってくれたら、けんけんも話をまとめるのに苦労したかいがあったというものです。
で、ここで考えておかなければならないことが一つあります。それは、中小企業観がなぜ変わったのか、という問題です。
時代認識としては、1.日本経済が欧米へのキャッチ・アップを果たし、フロント・ランナーになり、2.新たな事業機会(成長分野)を切り拓くために、中小企業の活力に期待せざるをえなくなった、程度の理解でよいかと思います。
でも、ここでは念のため、日本経済の環境変化について、大企業と中小企業の関係を中心に時系列で補足しておきますので、ご確認をお願いします。
01「日本経済の環境変化」
日本経済の環境変化〜大企業と中小企業の関係〜
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(各種資料より、けんけんが作成。詳細は、参考文献)
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ご覧のとおり、60年代までの産業政策(*4)の中で、中小企業が主役となって活躍できた場面はありませんでした。むしろ、日本経済成長の乗り越えるべき課題として、中小企業の弱さ(二重構造)が問題視されていたのです(1957年度 「経済白書」)。
そのため、旧基本法が制定された1963年には、この二重構造問題の解決こそが最重要テーマでした。
では、なぜ大企業ばかりが、日本経済の主役となりえたのでしょう。それは、経済成長を最大化するのに、どのような産業構造に誘導していくかを考えてみれば分かります(*5)。
旧通産省では、60年代の産業政策のグランドデザインを描くにあたり、「所得弾力性基準」と「生産性上昇率基準」の二つの尺度で、将来的に政策の波及効果が大きい産業を選び出していたからです。(*6)
そこでは、欧米で成功したビジネスモデルや技術体系をもとに、1.国民の所得水準が伸びると、需要が伸びる産業を選び出すこと、2.生産性上昇の可能性が大きい産業を選び出すことを、基準にしたのです。その結果、重化学工業の振興が政策目標として選ばれたわけです。
でも、重化学工業の成長が頭打ちになると、経済成長のために別の産業を探さなければいけなくなりました。その転換点が、70年代から80年代でした。そのため、70年代の通産ビジョンでは、「過密・環境基準」「勤労内容基準」が追加され、知識集約化の方向性が打ち出されたのです。やみくもな高度経済成長への反省から、環境や勤労者福祉にも配慮した新たな時代の先取ともいえます。また、第1次ベンチャーブームもその頃で、民間の各種ベンチャー・キャピタルが設立されました。
ですから、この頃にはキャッチ・アップ化からフロント・ランナー化への兆しがあったわけです。
その後、産業構造審議会総合部会 基本委員会報告(1995年10月)により、産業の進むべき方向は市場に任せるべきとされ、政府介入による最適産業構造への誘導にピリオドが打たれました。産業構造政策から、競争政策への大転換となったわけです。(*7)
そして、その集大成の一つが、1999年の中小企業基本法の改正なのです。
別表には、転換期以降の中小企業政策をめぐる直近の動向についてまとめておきました。関心あればご覧ください。時系列の論理のつながりがなんとなく見えてくると思います。
おしまいに、「白書 裏読みタテ読みナナメ読み」を通読していただいた皆さま方には、心から感謝したいと思います。では。
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| (おしまい) |
02「転換期以降の中小企業政策をめぐる直近の動向」
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21世紀中小企業論
(渡辺幸男・小川正博・黒瀬直宏・向山雅夫 著/有斐閣アルマ)
試験委員によって書かれた中小企業論の本。学習用や調べ物用に一冊だけ買うとしたら、絶対にこの本だと思います。 |
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ロシアの市場経済化
(米村紀幸、西村可明 編著/サイマル出版)
ロシアの市場経済化にあたって、90年代の始めに書かれた日本の産業政策と中小企業政策についてのコンパクトなテキスト。中小企業庁を含む旧通産省のミッションによってまとめられた本です。 |
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シンクタンクのメッ!
中小企業政策を中心に、創業支援のあり方や公的金融、後継者問題など中小企業をめぐるさまざまな問題に対して提案を行っているWebサイト。今回の年表を作るのにかなり参考にさせていただきました。
平成10年度中小企業白書 第3部 内外の中小企業と中小企業政策の変遷 |
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現代日本の中小企業
(植田 浩史 著/岩波書店)
ところどころ参考にさせていただきました。アカデミックな本です。 |
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(*1)【過小過多】
過小過多とは、企業規模が小さく、企業数が多いことを意味します。この言葉は、資本の脆弱な多数の中小企業が過当競争を演じながら、前近代的な経営活動を展開している様子を現しています。 |
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(*2)【二重構造問題】
1957年経済白書の記述では、「わが国のうちに「先進国と後進国の二重構造」が存在し、この「二重構造」を「経済の近代化と成長を通じて解消すること」が課題である」と、述べています。
また、その現状について、「近代部門からはみだした労働力はなんらかの形で資本の乏しい農業、小企業に吸収されなければならない。〜すなわち、低い賃金においてのみ雇用されうる労働力が低い生産力を持つ用途に吸収されるのであり、きわめて生産力の低い、しかしながら、労働集約的な生産方法をもつ部門が近代的部門と共存する。〜しかし、このような経済の不均衡的発展は、所得水準の格差拡大を通じて社会的緊張を増大させる」と、述べています。
つまり、当時の日本経済の成長の課題は、二重構造問題を解決することであり、そのためには、1.近代部門である大企業による高度成長、2.非近代部門である中小企業の近代化の二つの解決方法があったということを示しています。
また、二重構造の発生原因は、潜在失業者として農村社会などに吸収されていた戦後の過剰労働力の存在で、中小企業における所得水準の引き下げ圧力として長い間存在し続けたのです。この二重構造が解消されたのは、60年代の高度成長で労働需要が高まり、毎年10%の賃金引き上げが続いたことで、大企業と中小企業の賃金格差が縮小したからだと言われています。 |
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(*3)【指導と助言】
中小企業指導法」が「中小企業支援法」(平成12年4月)に改められたのを契機に、第3条第1項1号の「指導」が「経営に関する助言」になりました。中小企業支援法とは、中小企業の振興に寄与することを目的に制定された法律で、中小企業診断士制度等に関する規定が含まれています。
ちなみに、助言理論的に考えると、指導とは、トレーニングのイメージです。それは、トレイン(電車)という言葉から想像できるように、トレーナーによって敷かれた線路(お手本)の上をひたすら進む感じです。お手本のあったキャッチ・アップ時代の問題解決技法とも言えます。
また、助言とは、コーチングのイメージです。コーチは、4頭立ての馬車を意味するとおり、アメリカ西部の荒れ野原を駆ける幌馬車の感じです。道なき道を行くフロント・ランナー(先頭走者)には、予期せぬ冒険(難問)が待ち構えているのです。お手本のない時代の問題解決技法とも言えます。 |
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(*4)【産業政策】
産業政策とは、産業間の資源配分や産業内の組織に一定の影響を与えることを直接の目的とした政策のことです。
また、最適産業構造の実現のため、産業部門間の資源配分に影響を与えるのが、産業構造政策で、市場秩序を変え、企業間の競争状態に影響を与えるのが、産業組織政策です。また、産業組織政策の一つである競争政策とは、競争条件を整備し、競争を活発化させる政策のことです。 |
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(*5)【産業構造の高度化】
一国の経済発展をより高い水準に引き揚げるためのシンボリックな表現のこと。産業構造の高度化というイメージは、欧米諸国の経済政策にはないそうです。 |
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(*6)【(需要の)所得弾力性】
需要の所得弾力性とは、所得が1%変化したときに需要が何%変化するかを表したものです。
所得弾力性の大きな財は贅沢なもので、低い財は生活必需品です。また、所得弾力性がマイナスの財は、劣等財(下級財)と呼ばれます。定義式は、次のとおりです。

所得弾力性基準の考え方は、次のとおりです。
例えば、繊維産業の需要の所得弾力性が0.8で、レジャー産業の弾力性が1.5とします。来期のGDP成長率が3%と見込まれる場合、定義式から繊維産業に対する需要増は2.4%(3%×0.8)、レジャー産業に対する需要増は4.5%(3%×1.5)です。つまり、所得弾力性基準で判断した場合、レジャー産業の育成を行ったほうが政策の効果があるということになります。 |
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(*7)【「調整政策」と「振興政策」】
中小企業政策の切り口として、「調整政策」と「振興政策」があります。
「調整政策」とは、急激な社会環境の変化を和らげるための政策です。日米構造協議(1990)で流通障壁として名指しされた「大規模小売店舗法」などが、代表的なものです。「調整政策」は、新規参入者にとって競争制限的な障壁と映るようです。
また、「振興政策」とは、政策課題に対してさまざまな支援措置を準備した、振興のための政策のことです。
「調整政策」の縮小をムチ、「振興政策」をアメと表現している方を、以前どこかでお見かけしました。
中小小売業施策の変遷
(2002年度 中小企業診断士1次試験「中小企業経営・政策/助言理論」第26問もぜひ参照のこと)
「百貨店法」(1956年)〜調整政策
一定規模以上の百貨店の新増設を許可制とする法律。
→戦後の引揚者による大量流入により、当時の小売業は個人経営の中小商業者が多数を占めていました。そのため、強力なセリング・パワーを有した百貨店を規制することで、一般小売業者の経済基盤を確保する必要があったのです。
「商店街振興組合法」(1962年)〜振興政策
商店街の組織化のため、共同事業・環境整備事業を推進する法律。
→ショッピング・センター等の登場を背景に議員立法により成立しました。
「大規模小売店舗法」(1973年)〜調整政策
一定規模以上の百貨店・スーパーなどの大規模小売店舗の新増設について届出を義務付ける法律。
「中小小売商業振興法」(1973年)〜振興政策
中小小売商業の振興を総合的・体系的に推進する法律。中小小売商業の情報化なども目指す。
「80年代 流通ビジョン」(1983年)
地域社会における小売業の役割の重要性を強調→商業施策と街づくりのリンク
「大規模小売店舗法」の規制緩和(1991年)〜調整政策の緩和
「特定商業集積整備法」(1991年)〜振興政策
商業施設と公共施設の一体的整備を面的に推進する法律。
「中心市街地活性化法」(1998年)〜振興政策
商業の活性化と市街地の整備改善を一体的に推進する法律。 |
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