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2000.vol.2
ワールド トレンド レポート
中国
 中国における「一国二制度」の歴史的
経緯および基本法の内容

弁護士 森川伸吾


●はじめに

1999年12月20日にはマカオが中国に返還された。「東アジア地域における最後の植民地の消滅」との報道がなされたことは記憶に新しい。
さて、1997年7月1日にイギリスから中国に返還された香港および1999年12月20日にポルトガルから中国に返還されたマカオは、中国の行政区画上は、「特別行政区」として位置づけられる。これは、省、民族自治区および直轄市(北京市、上海市、天津市および重慶市)と同様、一番レベルの高い行政区分(一級行政区といわれる)である。
香港特別行政区およびマカオ特別行政区においては、いわゆる「一国二制度」が実施される。
一国二制度とは、特別行政区が中国の一部であること(一国)を前提とした上で、これに高度の自治および資本主義的制度の存続を認める(二制度)という考え方である。政治的制度については、既存の政治制度を存続させることは元々約束されておらず、「二制度」の内容にもなっていない。「植民地的政治制度」を「中国の一部ではあるが高度の自治が実施される行政区としての政治制


度」に変化させる必要があるので、これは当然のことといえる。
一国二制度の具体的内容は、「中華人民共和国香港特別行政区基本法」(全人代1990年採択、1997年7月1日施行;以下「香港基本法」という)および「中華人民共和国マカオ特別行政区基本法」(全人代1993年採択、1999年12月20日から実施;以下「マカオ基本法」という)により規定される。香港基本法およびマカオ基本法は、ともに憲法第31条の「国家
は必要がある場合には特別行政区を設立することができる。特別行政区において実行する制度は、具体的状況に照らして、全国人民代表大会が法律により規定する。」という規定に基づいて制定されたものであり、内容的にも非常に近似したものとなっている。
以下では、一国二制度の歴史的背景と香港基本法およびマカオ基本法の内容について説明する。


●一国二制度の歴史的背景

香港の植民地化
1842年、清朝政府はイギリスと南京条約を締結した。南京条約は阿片戦争(1840年-1842年)の結果締結されたいわゆる不平等条約で、同条約に基づき清朝政府は香港島をイギリスに割譲した。その後イギリスとフランスは、アロー号事件とフランス宣教師殺害事件をそれぞれ口実として英仏連合軍を形成し、清朝に対する第2次阿片戦争(1856年-1860年)を開始した。第2次阿片戦争の結果として1860年に締結された北京条約に基づき、清朝は九龍半島の南端部をイギリス に割譲した。その後清朝中国の半植民地化の進展に伴い、イギリスは1898年に九龍半島の残りの部分および付近の島嶼部(いわゆる「新界」)を99年の期間で租借した。以上の3段階の割譲・租借により現在の香港地区が形成された。
香港はイギリスの領土・租借地としてイギリスの支配下に置かれたが、その支配は植民地支配としての性質を有し、香港の住民にはイギリス本国民と同等の待遇は与えられなかった。


香港の返還交渉と中英共同声明
1980年代に入り中国政府はイギリスに対し、租借期限が1997年に満了する新界(ニュー・テリトリー)のみならず、第1次阿片戦争および第2次阿片戦争の結果イギリスに割譲された香港島および九龍半島南端部をも返還するように要求した。
その後1984年12月19日に北京で締結された「香港問題に関する中華人民共和国政府およびグレートブリティンおよび北アイルランド連合王国政府の共同声明」(以下「中英共同声明」という)により、イギリスが1997年7月1日に香港を中国に返還することが決定された。
中英共同声明は全8条より構成され、主要な内容として、(1)イギリスは1997年7月1日に香港を中華人民共和国に返還し、中華人民共和国政府は同日より香港に対する主権の行使を回復すること、(2)中華人民共和国は12項目の基本方針・基本政策を香港に対して実行すること、(3)中英共同声明の発効日から1997年6月30日までの過渡期においては香港の行政管理はイギリス政府が担当することなどが規定されている。
上記の12項目の基本方針・基本政策とは、(1)香港を中国憲法第31条の規定する特別行政区とすること、(2)香港特別行


政区は中国中央政府の直轄とし、外交・国防事務を除き高度の自治権を与えること、(3)香港特別行政区は行政管理権、立法権、独立の司法権および終審裁判権を有し、現行の法律は基本的に変えないこと、(4)香港特別行政区の政府は現地人により構成されること、(5)香港の現在の社会・経済制度および生活方式は変えないものとし、香港特別行政区は人身、言論、出版集会、結社その他の各種の権利および自由を法により保障し、財産権、外国からの投資等も法律による保護を受けること、(6)香港は自由港・独立関税地区としての地位を保つ こと、(7)香港特別行政区は国際金融センターとしての地位を保ち、外貨、金、証券、先物等の市場を引き続き開放し、資金の出入りは自由であり、香港ドル(港幣)は引き続き流通し、その両替は自由であること、(8)香港特別行政区は財政上の独立を保ち、中国中央政府は香港特別行政区に対して徴税を行なわないこと、(9)香港特別行政区は外国と経済関係を結ぶことができ、香港における外国の経済的利益は優遇されること、(10)香港特別行政区政府は「中国香港」の名義で対外活動を行なうことができ、また、香港へ出入りする旅行許可証を発行で


きること、(11)香港特別行政区はみずからその社会治安維持を担当すること、および(12)中国の全人代が制定する予定の香港特別行政区基本法においては以上の基本方針・基本政策およびこれに関する説明(中英共同声明付属文書一)を規定し、50年間はこれを変更しないことである。 マカオの植民地化
マカオ地区(澳門半島および2つの島を含む)においては、ポルトガルが明朝の海賊討伐を援助したことから1577年にポルトガル人の居住権が認められた。その後、列強による清朝中国の半植民地化が進むなか清朝とポルトガルが1887年に締結した条約により、マカオはポルトガルに割譲され、以後、ポルトガルの植民地支配を受けた。


中葡共同声明の締結
イギリスと異なり、ポルトガルは海外の植民地の返還に積極的であった。1987年4月13日に北京で締結された「マカオ問題に関する中華人民共和国政府およびポルトガル共和国政府の共同声明」(以下「中葡共同声明」という)により、マカオは中国の領土であることが確認された。
中葡共同声明は全7条より構成され、主要な内容として、(1)マカオは中国の領土であり、中華人民共和国政府は1999年12月20日からマカオに対する主権の行使を回復すること、(2)中華人民共和国は「一国二制度(一個国家、両種制度)」
の方針に従い、12項目の基本政策をマカオに対して実行すること、(3)中葡共同声明の発効日から1999年12月19日までの過渡期においては、マカオの行政管理はポルトガル共和国政府が担当することなどが規定されている。
上記の12項目の基本政策とは、(1)マカオを中国憲法第31条の規定する特別行政区とすること、(2)マカオ特別行政区は中国中央政府の直轄とし、外交・国防事務を除き高度の自治権を与えること、また、マカオ特別行政区は行政管理権、立法権、独立の司法権および終審裁判権を有すること、(3)マカオ特別行政区の


政府および立法機関は現地人により構成されること、(4)マカオの現在の社会・経済制度および生活方式は変えないものとし、法律も基本的には変えないこと、(5)マカオ特別行政区は文化・教育・科学技術政策をみずから定め、政府機関・立法機関・裁判所においては中国語に加えてポルトガル語も使用できること、(6)マカオ特別行政区は外国と経済関係を結ぶことができ、マカオにおける外国の経済的利益は優遇され、マカオにおけるポルトガル系住民の利益は法により保護されること、(7)マカオ特別行政区政府は「中国マカオ(中国澳門)」の名義で対 外活動を行なうことができ、また、マカオへ出入りする旅行許可証を発行できること、(8)マカオは引き続き自由港・単独関税地区として経済活動を行なうことができ、資金の出入りは自由であり、 マカオドル(パタカ;澳門元)は引き続きマカオ特別行政区の法定通貨として流通し、その両替は自由であること、(9)マカオ特別行政区は財政上の独立を保ち、中国中央政府はマカオ特別行政区に対して徴税を行なわないこと、(10)マカオ特別行政区はみずからその社会治安維持を担当すること、(11)マカオ特別行政区は中国の国旗・国章以外に、独自の旗・マ


ークを使用できること、および(12)中国の全人代が制定する予定のマカオ特別行政区基本法においては以上の基本政策およびこれに関する説明(中葡共同声明付属文書一)を規定し、50年間はこれを変更しないことである。


●香港基本法およびマカオ基本法の内容

香港基本法およびマカオ基本法(以下、両者を「両基本法」と総称する)は、総則規定に加え、特別行政区と中央との関係、特別行政区における政治制度、経済制度、社会制度、特別行政区の住民の基本的権利等について規定を設ける。
両基本法の骨子となる内容は共通しており、「一国」の前提、高度の自治権、「港人治港(澳人治澳)」、法による権利保障、50年間の既存制度維持、法制度の原則維持等がある。
「一国」の前提とは、特別行政区(つまり
香港・マカオ)が中華人民共和国の不可分の一部であり、あくまでも単一国家である中国の地方行政区域の一つにすぎないという前提である。
特別行政区が有する高度の自治権とは、具体的には、特別行政区の内部的事務に関する行政管理権、立法権、独立の司法権および終審裁判権を意味する。「高度の自治」は「完全な自治」を意味しない。また、この自治権は特別行政区に固有のものではなく、中央から特別行政区に与えられたものとされる。なお、行政長官は行政機関である特別行


政区政府の長であるが、同時に、特別行政区の首長として特別行政区を代表する。
「港人治港(澳人治澳)」とは、「特別行政区の行政機関および立法機関は当該特別行政区の永住民により組織される」という原則である。この「永住民」には中国国籍を有さない者も含まれる。逆に、永住民でなければ中国国民であっても特別行政区の政治への参与は制限される。
法による権利保障とは、特別行政区の住民等の権利および自由が法律により保障されるということである。「立法権を
制約する存在としての人権」という概念は制度上は採用されていない。
「50年間の既存制度維持」という場合の「既存制度」には、資本主義制度および生活様式は含まれるが、既存の政治制度は含まれない。
法制度の原則維持とは、基本法に抵触するものを除いて、特別行政区の既存の法律が原則として維持されるということを意味する。なお特別行政区の各種制度および政策は、全て基本法の規定に基づかねばならず、特別行政区の立法機関は基本法と抵触する立法を行うことはできない。


以上のような両基本法の内容は、1984年の中英共同声明および1987年の中葡共同声明の内容にもそれぞれ合致するものである。


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