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2000.vol.1
新 知的財産ウォッチング
〜 遺 伝 子 特 許 を め ぐ る 問 題 〜
振譜 真朗

 前回はプロ・パテントについてお話しました。そして、プロ・パテント政策を採ったことにより米国においては80年代に特許侵害訴訟における損害賠償額が高騰したことはお話した通りで、わが国においても遅まきながら裁判所もプロ・パテントが世界の潮流であることを認識してか前々回のこの欄で紹介したように30億円余の 賠償を課する判決を出しております。プロ・パテント政策の結果生じたもう一つの重要な変化は、保護の対象となる知的財産の範囲が広げられたことで、コンピュータ・プログラムやデータベー ス、半導体チップ等が保護されることになりました。ところが、このところ特許の世界に二つのかなり悩ましい問題が生じてきたのであります。一つは、遺伝子特許の問題、もう一つはビジネス方法に関する特許の問題であります。これらはいずれも、 かなり難しい問題ですので、相当の基礎知識がないと知的財産的観点からの問題が奈辺にあるかを正確に理解することは困難で、筆者自身もほんとうにどこまで理解できているのか疑問なしとしない次第ですが、とにかく、 筆者の理解の範囲でお話することとし、今回は


遺伝子特許のお話を致します。
 去る1月11日の夕刊各紙は、米国のバイオ企業セテラ・ジェノミクス社が人間の全遺伝子のうち推定で97% の解読を終えたと発表したことを伝えています。そしてそのニュースに関する解説記事で、このような私企業が 遺伝子解析をどんどん進めて特許権を取得してしまうことになったら、遺伝子の解析により期待される病気の遺伝子診断や遺伝子治療あるいは治療薬の開発や利用に大きな影響を及ぼすことになる、つまり特許権者に莫大な 特許使用料を支払わないと遺伝
子を用いる診断、治療や医薬の開発も使用も出来なくなってしまうことを非常に 危惧しておりました。このような人間の遺伝子の解読を行っているのはセレラ社だけではなく、バイオベンチャーの老舗であるインサイト・ファーマスティカル社をはじめ多数のバイオベンチャーが遺伝子解読競争に参戦し、 続々と特許の申請を行っているといわれ、インサイト社も遺伝子の大部分を解読したといっています。このような危惧すべき状況を予見してか、実は80年代末から日米欧の公的機関が協力して人間の遺伝子を解読


し、それを無償で公開する「ヒトゲノム計画」なるプロジェクトが開始され、現在も進行中です。そして、米国ではこの 「ヒトゲノム計画」をNIH(国立衛生研究所)が担当し、そこでこのプロジェクトに参加していたクレイグ・ベンター博士が解読結果を91年と92年の2回にわたり、特許申請しました。これはESTと呼ばれる遺伝子断片 についてのものでしたが、当時は、ゲノム解析研究の成果は人類共通の財産とすべきとの考え方が根強かったので日米欧の各国で特許を与えることの是非につき議論が沸き起こり、その ような国際世論に押されて米国特許 商標庁はこれらの特許申請を拒絶しベンター博士ら出願人もこれに承服しました。このことによりESP特許の問題には決着がつけられ関係機関で納得されたかに思われましたが、遺伝子工学が進歩するにつれて遺伝子の利用価値の大きさの認識がますます高まってきて、96年頃からインサント社等がESTの特許申請を始めました。そして、98年10月、ついに最初のEST特許がインサント社に与えられることになったのです。かくして、またまたEST特許の問題が再燃することにな


ったわけですが、今回はEST特許の是非というよりは特許される場合もあり得べしとの前提で特許されるために充たされなければならない要件は何かというところに論点が移ってきて、実際に特許の審査を行う日米欧の特許庁が協議をして審査基準の国際的統一を図ろうとしております。


なぜ、遺伝子に特許が?
 さて、ここまで読んできていろいろと問題がありそうなことは分かったが、遺伝子に特許を与えるというのは どういうことなのか、遺伝子とは一体何なのだ、といった疑問を持たれた方も多いのではないでしょうか。その 答えは次のようになります。現代の特許制度のもとではほとんどの国で物質特許を認めています。これは新規の化学物質を創り出した場合にその製法と用途を記載して申請すればその物質自体についての特許が与えられるというもので、その物質の製造・販売はもとよりあらゆる意味でのその物質 の利用を支配する権利を取得できるというものです。では、自然に存在する新規の物質をたまたま発見した場合はどうか。この場合も、その構造と製法、用途を示すことができれば同じように物質特許が与えられます。ところで、遺伝子とは何か。科学的にみればその実体はDNA(デオキシリボ核酸)という化学物質なのです。してみると、遺伝子を解読してその構造を 明らかにして、そしてその機能、用途を確認できれば(この場合、遺伝子は人工的に創出できないので、遺伝子の製法は元の遺伝子をコピーする


しかないが、コピーの方法は既に幾つか知られているのでこの点に問題はない。)、それは天然物の発見の場合と同様に物質特許が与えられて然るべきというのが、遺伝子特許の考え方なのです。ところが、上述したインサイト社のEST特許の明細書に記載されている機能、用途は実験等により検証されたものではなく、既知の遺伝子の構造との類似性から類推したものなので、それを認めて特許を与えてよいものかという点が問題とされているのです。しかも現在、日米の特許庁に申請されているESTにつ いては、それらの機能、用途はほとんどが類推によるものらしいといわれており、それらに特許が与えられることになるのかどうか、特許庁は難しい判断を迫られることになりそうです。ただこの折、遺伝子データベースの拡充(ヒトゲノム計画により解読された遺伝子データは次々と公開されている)、検索ソフトの改良等により類推の確度が 日毎に高まっているといわれ、とにかく早く解読を行って先に特許申請した者が勝ちということになることも大いにありうることなので遺伝子の解読競争が激化しているのです。そして


解読の作業も今やDNAシーケンサという装置により、高速で自動的に行われるようになり、実は冒頭に紹介したセレラ社というのはこのシーケンサ のほとんどを製造販売しているパーキンエルマー社が出資して設立したベンチャーで設立当初から最新型のシーケンサ(1台40万弗といわれる)を230台も併置して解読を行っ ており、全社の設立が98年で、昨年9月から 解読作業を始め、この1月に90%以上の解読を終えたというのですから驚くほかありません。そして、セレラ社 の社長はNIH時代に初めてEST特許の申請を行った、かのベンター博士だというのですから話が出来すぎているような気も致します。


立ち遅れた日本
 一方、わが国の状況はというと、「ヒトゲノム計画」に協力する大学や公的研究所等で遺伝子の解読を進めており着実に成果をあげつつあるといわれますが、例えばDNAシーケンサは日本には数十台程度しかないといわれセルラー社にも及ばないわけで、この差は圧倒的です。ところで、セレラ社等のバイオベンチャーは解読した遺伝子情報をどのように利用しているのでしょうか。実は、それらの情報は医療・医薬関連企業、特に製薬会社にかなりの高額な料金で提供されているのです。世界の大手製薬会社はほとんどいずれかのバイオベンチャー と契約して遺伝子情報の提供を受けているといわれています。というのは、これからの新薬開発は「ゲノム創薬」といわれる病気の根源となる遺伝子から出発してそれに直接・間接に働きかける治療薬を 創り出すやり方になるといわれるからです。そのような状況の下で、遺伝子に特許が与えられて独占されると、 遺伝子には代替物がないので医療・医薬品産業は特許権者に死命を制せられることにもなりかねません。遺伝子特許が極めて重要な問題であるとの所以であります。



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