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vol.1
特別寄稿
NATOと日米安保の“域外化”
−深まる米国の“文化的”混乱
株式会社インサイダー代表 高野 孟 氏

 コロラド州リトルトン市の高校で起きた2人の少年による銃乱射事件が引き起こした衝撃の中で、クリントン大統領は、米国最強のロビーである全米ライフル協会と全面対決になるかもしれない政治的リスクを敢えて冒して、未成年者の銃器へのアクセスを強く規制する新法案を発表した。
 銃規制の強化そのものは、とりわけ服部君ハロウィン殺人事件はじめ
在米日本人も少なからず犠牲となっている我々の目から見れば、好ましいという以前に当然のことである。が、その発表に際して大統領が語った次の言葉には、新法案の1つくらいでは到底解決することのない米国社会のディレンマが滲み出ている。「文化を変えるのは難しいが、個人の責任回避に文化が利用されてはならない」


★暴力は米国文化?
 これはもちろん、直接には、銃規制反対論者たちが「銃は米国の文化であり、銃そのものが悪いのではない。学校や家庭が子供らにどんな教育を施しているかが問題だ」と、文化を盾にとって銃規制に反対していることへの反論である。善し悪しは別として、銃は確かに米国文化の一部である。全米の個人が所有する銃は1億9000万丁を超えており、赤ん坊を除く全員が持っている計算になるというのに、なお年に750万丁の銃が販売されている。
 なぜ米国人がそれほどに銃フェチなのかと言えば、それはこの国そのものが先住民の大量虐殺の血糊の上に成り立っていて、その邪魔者は殺せという“カウボーイ精神”はすでに彼らの遺伝子に組み込まれているからである。銃が文化だと主張することは、殺人と暴力が文化だと主張しているのと同じことであり、そうだとすると、自分や子女を守るために家庭の主婦までが射撃教室に通い、帰りにライフルを1丁買ってきて玄関横に立てかけておくといった野放図な悪循環を防ぐことは出来ない。


 実際、米国のテレビ・ドラマ、映画、ロック音楽、プロレス、電子ゲーム、ファッションなど文化の全領域には暴力と殺人が蔓延しており、例えば4月6日から2週間ほどに米国で新たに発売されたビデオ映画11本のうち7本までは、ネオナチ、スキンヘッドなどを題材にした暴力的な内容ものだった。  95年の映画「バスケットボール日記」は、主演のデカプリオが長い黒の皮コートを着てライフルで自分の高校に押し入り、ロックの調べに乗って同級生や教師をなぶり殺しにするというもので、すでに今回のリトルトン市の事件以前に類似の事件がケンタッキー州でも起きている。


 あるいは、今回の犯人の1人は人気のパソコン・ゲーム「ドゥーム」の熟達者だったと報じられている。それは、最初に使用する武器のセットを選択して進入路を決め、次々に部屋を空けては出てくる相手を射殺するというもので、リトルトン市の2人の少年が銃や爆弾を用意し、その時間に人が多く集まっているはずのカフェテリアを最初の進入路に選び、 あとは次々に部屋を開き、逃げ遅れた子供らがいた図書室で10人を殺した行動パターンと酷似していることが指摘されている。彼らはまたナチスのマークの入った長いトレンチ・コートを着ていた。
 そう言ってしまえばいささか極端だが、米国文化は暴力と殺人に満ちていて、その頂点に血塗られた記憶としての銃フェチがあるのは、疑いのない事実である。


★自由の女神が泣く
  もし銃規制反対論者が、本当に文化としての銃を所有する権利を守りたいのであれば、その目的をスポーツ射撃と狩猟に限定し、管理を厳格にしてそれ以外の目的の所有や使用を自ら禁じ、そのルールを社会に定着させるために積極的に活動し、あるいは銃を手軽に殺人に使うことを煽るかの暴力的文化を排斥するキャンペーンに取り組むべきである。そうした“自律”の気概に裏付けられなければ、銃保有の“自由”はたちまち単なる“放埒”に転化して世論の支持を失い、政治権力による強制的な“規制”を招き寄せる。
 これは、例えば報道の自由への政治介入やインターネットの猥褻物規制などの場合でも同じことで、自らが自らを厳しく律して、
下からのルールを作り上げていく努力を不断に怠らないようにしなければ、上からの規制で自由そのものを失うことは避けられない。こんなことは、自由と規制の弁証法についての初歩の初歩であって、自由の女神の国である米国で、「銃は文化だ」などという幼稚な議論がまかり通っていること自体が全く理解不能なことである。
 だから、クリントンが「文化を変えるのは難しい」と言ったその気持ちはよく分かる。米国の銃信仰は合理の範囲を超えた、まさに一種の原始宗教であって、それに挑戦するのは、ほとんど無謀と言っていい政治的リスクを背負い込むことになる。その意味では、このタイミングで即座に銃規制強化に踏み込んだ彼の勇気は讃えられるべきだろう。


 ところが、そのとたんにクリントン自身もまたディレンマに陥る。テロリストが潜んでいるらしいと言ってスーダンとアフガニスタンを攻撃し、 サダム・フセインを殺すと言ってイラクを爆撃し、今またミロシェビッチ政権を打倒するためにユーゴに空爆をかけ――つまり国際社会で誰が抹殺されるべきかについて判断を下す権利は正義の味方=米国こそが握っており、 ひとたび敵が定まれば、使用する部隊とハイテク武器を選定し、進入路とエスカレーションの順番を決定し、画面で実況を眺めながら相手を殺すまで続ける……。
 一般に、ある国家が行う対内的暴力と

対外的暴力は 相関関係があると認められるが、国内では銃による犯罪をなくそうと呼びかけている大統領が、その瞬間に遠くユーゴでは爆弾とミサイルによって国際列車や石油施設やテレビ局や住宅地や避難民の列までも爆撃して、大量の民間人を殺しているというのでは、辻褄は合わない。
 しかもクリントンが、「個人の責任回避に文化が利用されてはならない」などと言うと、これはもうカリカチュアである。クリントンが行ってきた空爆マニアぶりが、彼自身のセックス・スキャンダルの相次ぐ暴露と深い関係があることは、今では誰でも知っている。


 18日付の『ニューヨーク・タイムズ』は1面トップから2ページを費やして「スキャンダルに気をそらされた大統領がどのようにしてバルカン戦争に踏み込んでいったか」と題した特別論説を載せ、ブッシュ政権時代の米国のバルカン半島政策まで遡って検証しつつ、特にクリントンの不倫もみ消し疑惑と重なった過去1年に焦点を当てて、なぜユーゴ空爆が始まったかを詳しく分析している。
 同紙によれば、不倫もみ消し疑惑とそれに起因する議会の弾劾裁判のために、クリントンはコソボ紛争解決に対する決断について審議する余裕が持てず、そのため切羽詰まっていきなり大規模空爆という手段に出て今日の困難を招いた。同紙はそうは書いていないが、『ワシントン・ポスト』は、“弾劾裁判にかけられた大統領”という汚名を濯ごうとする気持ちが

空爆という手段に踏み切らせた大統領の内面的な要因であることを示唆している。
  昨年12月のイラク攻撃は、モニカ騒動の山場に行われ、「現実から目を背けさせるための作戦」と叩かれたが、今回もアーカンソー州でポーラ・ジョーンズ嬢がクリントンをセクハラで訴えた裁判が進行中で、先週になって法廷は、訴えそのものは退けたものの、「クリントンは本法廷で偽証をして司法を妨害した」として罰金を支払うよう判決を下した。全米の新聞は「クリントンは嘘つきだという事実が、ようやく司法の場ではっきりした」と評価した。
 クリントンが銃擁護派に「個人の責任回避に(暴力的な)文化を利用するな」と言うのであれば、彼もまた、相次ぐ性的スキャンダルへの個人の責任を(暴力的な)文化でごまかしてはならない。


★NATO内部の亀裂
 さて、開始から1ヶ月を超えたユーゴに対するNATOの空爆は、ミロシェビッチ大統領の屈服と政権瓦解という当初の作戦目標を達成できないばかりか、逆にユーゴ国民がかつてなく同大統領の下に結束する事態を生んでいる。しかも、予想外に長引く作戦は、NATO側に焦りを生み、当初目標に予定されていた軍事施設以外にもほとんど無制約に爆撃が行われ、それにともなって民間の非戦闘員の犠牲も激増している。
 “人道的な空爆”の矛盾が悲しい形で露呈したのは、アルバニアとの国境地帯からコソボ内の故郷の村に帰還しようとした
避難民の列をユーゴ軍が警護していたところを誤爆し、 多くのアルバニア系住民を殺害したことである。米政府は最初、何のための空爆かと詰問されることを恐れて、「ユーゴ軍部隊が避難民を射殺した可能性がある」と発表したが、後に誤爆であったことを認め、NATO司令官が謝罪した。 人類史上のどの戦争で、一回ごとに誤爆を謝りながら攻撃を続行する司令官などというものがあっただろうか。それこそ電子ゲームのやりすぎによる幻人道的な空爆というのは全くの形容矛盾であって、覚でなければ、ハイテク兵器への過信の産物である。


 断るまでもないが、このことはミロシェビッチがいかに悪辣な独裁者であるかという問題とは関係ない。どの国の為政者であろうと、その国で一応(ということは、外から見ればいろいろ疑問があったとしても)適法とされている手続きに従って選ばれている者の行いが気に入らないからと言って、他国が暴力によって介入して彼を屈服させたり抹殺したりすることが許される訳がない。それが許されるなら、例えばクリントンが大統領執務室に若い女性を引き込んで、外国の首脳に電話をしたりしていたのは、国際社会と民主主義、それに女性一般を侮辱する野蛮行為であるからと言って、どこかの国がホワイトハウスを爆撃することも正当になる。あるいは石原慎太郎が日本の首相になって「ボクは中国が嫌いだから」と、

北京侵攻を叫んだとしても誰も止められないことになる。
 人類が長い戦争の歴史の中で、それでも一歩ずつ築いてきて、国連そのものもまたその上に成り立っている主権の相互尊重という国際社会の原則を、このように安易に飛び越えてしまえばそこには無法の世界しか残らない。米国は民主国家だから?――あるいは、NATO司令官がしばしば口にするように「NATOは民主主義国の集まりだから」?――しかし、世界は米国やNATOを道徳の判定者として認めたことはない。NATOは、彼らの行いが国際法上どのようにして許されるのかの説明責任を問われているし 、仮にそれがクリアされたとしても、本当に人道問題を空爆という戦術で解決できると思ったのかというさらに重大な疑問が残る。


 当然のことながら、こうした問いに答えるだけのものを、クリントンもNATO諸国首脳も持っておらず、4月23日から3日間、ワシントンに集まって「NATO結成50周年」を記念するサミットに出席した彼らが一様に重い表情で、しかも今後どうするかということになるとバラバラの態度を露呈することになった。
 人類が長い戦争の歴史の中で、それでも一歩ずつ築いてきて、国連そのものもまたその上に成り立っている主権の相互尊重という国際社会の原則を、このように安易に飛び越えてしまえばそこには無法の世界しか残らない。米国は民主国家だから?――あるいは、NATO司令官がしばしば口にするように「NATOは民主主義国の集まりだから」?――

しかし、世界は米国やNATOを道徳の判定者として認めたことはない。NATOは、彼らの行いが国際法上どのようにして許されるのかの説明責任を問われているし 、仮にそれがクリアされたとしても、本当に人道問題を空爆という戦術で解決できると思ったのかというさらに重大な疑問が残る。
 当然のことながら、こうした問いに答えるだけのものを、クリントンもNATO諸国首脳も持っておらず、4月23日から3日間、ワシントンに集まって「NATO結成50周年」を記念するサミットに出席した彼らが一様に重い表情で、しかも今後どうするかということになるとバラバラの態度を露呈することになった。


★NATOの“域外化”
 米国の悩みは深い。もし、ミロシェビッチの小さな暴力に対して、それを遙かに上回るNATOの大きな暴力を対置することで問題を解決しうるという当初判断が正しいと固執するなら、道は地上軍の投入で投入暴力量を増やすしかない。しかし、前号でも触れたように、1000年以上に及ぶ歴史的経緯を引きずりながらコソボに執着するセルビア人相手に、しかもチトーの対独ゲリラの精神と全人民武装の態勢で「降伏よりも死を選ぶ」ことを憲法的に宣言しているこの国に、一体どれほどの地上軍を送り込めば期する目的を達成出来るのか、誰も見当がつかない以上、
クリントンにもそれを主張する勇気は湧くはずがない。とすると、暴力的解決という当初判断が間違っていたことになるが、今さらそれは口にすることは出来ない。
 そこで考えられたのは、ユーゴへの石油供給を断つための「海上封鎖とそのための臨検」だが、これには国連が「ユーゴ軍よりも先に一般国民の生活に深刻な影響が出る」と警告を発し、またNATOの中でもフランスが「公海上での臨検は国際法上、戦争行為と見なされるので、(ユーゴに石油を供給している)ロシアと戦争になる」という理由で反対を表明した。


 またそのフランスを含めて多くの大陸欧州諸国は、軍事的手段だけでは望みがなく、国連もしくは地域安保対話機構である全欧安保協力機構(OSCE)ベースでロシアの仲介役割に期待して政治的解決を探るべきだという意見が噴出した。それは当然で、フランスでもイタリアでも、連立政権に参加している共産党や緑の党は空爆に反対だし、ドイツでも社民党左派は反対。イギリスでは政権には動揺はないが、国内では80年代初の反核運動以来の大規模な反戦デモが沸き起こっている。下手をすれば、ミロシェビッチが倒れる以前にNATO諸国の政権のほうがおかくしなりかねない、国論二分状態なのである。
 こうしてNATOサミットは、ユーゴについては何ら有効な次の一手を決断できないまま、米国が熱心に推進したNATOの新戦略を、しかしこれも大幅修正した上で採択した。

 米国が当初企図したのは――
▼本来、外(旧ソ連・東欧)からの侵略の危機から西欧を防衛するための軍事同盟だったNATOを、域外の危機に共同対処することを主眼としたものに転換すること。
▼その域外の定義を無限定的にし、北東アジア(対北朝鮮・中国)への対処まで含むものにすること。
▼国連によるお墨付きという条件を外して、国連安保理などの決議がない場合でも域外で軍事作戦を実行できるようにすること。
 であった。第1の域外化そのものについては合意を見た。それはそうで、すでに旧ソ連の脅威はなく、そうかといって域内の紛争を暴力的に解決することもあり得ない以上、域外対処を認めなければ、NATOそのものが存在理由を失う。


 第2の、では域外とはどこかという話は、日本のガイドラインをめぐる「周辺事態」とは一体何かという議論と酷似していて、米国としては自分の指揮下にNATOを率いて世界中の問題に“警察官”として介入する権限を手にしたかったが、欧州側はNATO自体を世界の警察官化することには慎重で、そのため「欧州・大西洋」地域での「経済・社会・政治の混乱、民族・宗教の対立、領土紛争、不適切な改革、国家の解体」などの“周辺事態”例を列挙して、それらが「地域の緊張や武力紛争につながり、NATOや近隣諸国の安全を損なう」場合に域外作戦を行うというまことに漠然とした規定となった。オルブライト米国務長官は、域外とはどこまでかと聞かれて、

バルカン半島のほか「中東、中央アジア」と答えたが、これは日本の周辺事態について梶山前官房長官が「台湾は当然入る」と発言したのと同様、言わずもがなのことであった。
 第3の国連外しには、フランスはじめ欧州の反対が強く、そのため特に「国連安保理は国際社会の平和と安全保障の維持に主要な責任を持ち欧州・大西洋地域の安保と安定に重要な役割を果たす」という一句が盛り込まれた。フランスはこれをもって、域外活動には国連決議が必要だという主張が認められたと解釈しているが、米国は国連決議は「必要条件ではなく、あればそれに越したことはない」という意味だと解釈している。


★日米安保の“域外化”
 さて、米国がポスト冷戦の安保についてアイディアがなく、冷戦時代のままの戦略と配置を維持することに執着しているのは、アジアでも変わらない。日米安保ガイドラインはその端的な現れにすぎない。
 言うまでもなく日米安保条約は、主として旧ソ連が日本を攻撃する事態に備えて、いざという時には米軍が来援して自衛隊を助ける代わりに(第5条)、アジア全域で米軍が活動するための基地を好きなだけ使わせる(第6条)ことを本旨としていた。ところが日本にとっても旧ソ連の脅威は消滅し、NATOと同様、日米安保もその存在意義が問われることになり、米議会の一部には日米安保解消論も聞かれるようになった。しかし米国としては、日米安保を梃子にして世界第2の経済大国を事実上支配し、またほとんど日本の費用で膨大な在日基地を維持して全アジアに睨みを利かせているというこのおいしい状態を何としても維持したいのは当然で、
そこで「安保再定義」作戦が始まった。  まずは脅威のスライドである。旧ソ連は敵ではなくなったが、それ以上に恐ろしい敵であるかのように、北朝鮮や中国の脅威が誇大に喧伝される。94年の北朝鮮の“核疑惑”の際には、「すでに北は核弾頭を配備しているらしい」という類の話が、「国防総省筋によれば」という形で読売か産経のワシントン特派員に流れ、新聞が1面トップで報じると、翌週の週刊文春か週刊新潮あたりが「明日にも北の核兵器が日本に飛んでくる」と言った調子で煽り立て、その一種異様な空気の中で、米国側から極秘情報なるものが日本政府に注入されるというパターンが繰り返された。対日心理作戦(マインド・コントロール)と言って差し支えないその情報包囲の中で、皮肉なことに、その直前まで安保には反対、自衛隊は違憲と主張していた村山首相によって、日本はガイドラインへの道に踏み込むことになる。


 確かに北朝鮮は不気味で、金正日が気でも狂って、なけなしのミサイルをブッ放し、彼らにとってほとんど唯一の外貨獲得源である在日朝鮮人数十万もろとも日本人を絶滅させる可能性が絶無であるとは誰も断言できない。とはいえ、北が旧ソ連のように日本に対して渡洋攻撃を仕掛けて占領・支配する能力を持たないのは自明で、脅威といっても旧ソ連のそれとは性格も様態もレベルも違う。当然、それに対処する在日米軍と自衛隊の兵力、機能、配置も冷戦時代とは違うはずだが、そのような冷静な脅威の見積もりと対処方針が落ち着いて議論されることはないまま、「やっぱり安保は強化しないとまずい」というド素人感情がマスコミを通じて煽られていった。その延長上で、日米安保の域外適用のためのガイドラインの具体化が進んだ。

 百歩譲って、北朝鮮の軍事的脅威が現実だとしても、それに対処するには米軍の実力行使しかなく、また米国が武力行使を決断したときには日本はほぼ自動的にその助っ人として打って出るしか方法がないのだろうか。米国にしてからが、そのように日本をも軍事対応の道に引き込みながら北を恫喝しつつも、ねばり強く北と交渉を続ける両面作戦を崩しておらず、韓国もまた戦争の危険を覚悟しながらあくまで「太陽政策」によって軟着陸を図る路線を貫いている。ひとり日本が、北との対話ルートさえ持たないまま、ひたすら対米軍事協力に突き進もうとするかの態度をとっており、それが北朝鮮、ひいては中国との関係をさらに悪化させているのである。


 もちろん、過渡期の現在では、日本といえども軍事オプションを全く放棄していいということにはならないが、OSCE原理に立つならば、日朝国交交渉の再開、対北食糧・経済援助、KEDOに対する一貫した方針、米朝交渉や南北対話の促進、米朝南北4者の和平協議の成功への側面支援とその日本・ロシアを含めた6者体制への発展の模索などありとあらゆる対話の努力があって、その第1章から第9章までのシナリオを真剣に試みた末に、すべてが破綻したというときのやむを得ざる第10章として軍事オプションも一応想定しているということでなければ、到底まともな国の戦略とは言えない。

 ところがわが外務省は、昨年12月の米国のイラク空爆に続いて、今回のユーゴ空爆についても、ろくに事情も知らないままに、他のたいていの国より先に「米国支持」を打ち出して、在日米大使館のほうがむしろビックリしたほどだったという。冷戦思考から脱却できないで間違いを続けている米国の負の側面にことさらに癒着するばかりで、自分の考えも戦略も持ち合わせない日本は、クリントンがこけたときにはそれと心中するしかないことになる。


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